NHK紅白に権威があった頃
<紅白>は、ことしで11回目を迎える。
はじめのころは、年末を東京で過ごす人だけに、出演の交渉をした。
もともと、レコード会社では、年末年始には、有力歌手を地方に派遣して、宣伝につとめたものである。
が、テレビの普及で地方興行は、相当なスポンサーがつかないかぎり採算がとれない。・・・・・
<紅白>の規模は、ひろがっていった。と同時に、レッテルとして格式があがった。・・・・・
歌手たちは、ほかの仕事を捨てても、<紅白>だけは出たいというほどの熱意を示しはじめた。・・・・・
第一回から欠かさず・・・・・最高記録の保持者である二葉あき子さんが、ことしは、まだ通知を受けていない。・・・・・
「実は、あたくし、ことしは、一回しか、NHKのテレビに出てないんですよ。でも、どうして、こういうことになったのかしら、わかりませんわ」
低く、つぶやく。
(週刊文春、1960年12月19日号)
これは山崎正和『おんりい・いえすたでぃ’60s』(1985)からの引用だが、この本は高度成長の1960年代の風俗に関する引用記事が豊富にあって、今でも面白く、引越しのたびの書籍処分でも捨て切れず持っていた。
いま話題の東京オリンピック開催問題など、この時代の国民の受け止め方との劇的な相違を感じてみるだけでどうするか結論が出せそうに思える。
同書によれば、このころNHK紅白は70%の視聴率を誇っていたそうだ。
当時のテレビをはじめとするマスメディア、レコード会社の権力・権威のヒエラルキーはものすごかったようで
歌手らを容赦なく選別し、どんな裏工作をしても、紅白に出すこと、レコード大賞や歌謡大賞を取らせること、テレビに出すことはメジャーへの登竜門、メジャーの誇示として大きな価値があったようだ。
そして作詞・作曲家、レコード会社、スポンサー、マスメディアなど総力戦で飾り立てた歌と歌手を世に送り出していたようにみえる。
ξ
ワタシでも権力・権威に胡坐をかいたNHK紅白の傲慢なエピソードのいくつかをあらためて思い出すが、むしろ紅白には出ない!と宣言していた大物歌手・グループへの共感と関心のほうがずっと大きかった。
そして十代後半から大みそかは紅白をまともに観たことがない。
凋落しきった現在は、歌謡番組のていを成していなくて何ら構わない、少年少女に人気のあるグループを立て続けに出しておけばいい(低年齢層の視聴率!)といった、なりふり構わない論理かもしれない。
「現在」というものの印象を一言で言うと、権力・権威の趨勢が少しも明示的でなくなり(つまり悪党、仕切り屋の顔がはっきりしない、黙って従っていれば済むといった「その筋」がみえにくい)、すべて隠然となったようにみえる。
もちろん現在でも、(ワタシの好きな漫才・コント)芸人たちを眺めていると旧来からの権力・権威に頼るかどうかは別にして、メジャー指向ははっきりしている。
昭和歌謡の人気ベストテン
5月3日、民放TVで、現在の若い世代に昭和歌謡が人気があるとして、そのランキングを放送していた。
昭和歌謡が人気があるらしいという話に関心を持ったのは、数年前、家入レオが自分のコンサートで中森明菜や山口百恵の歌を歌っているというドキュメンタリーを観たことがあり、そのとき、へぇーっと思ってからである。
現在は、「発掘」した昭和歌謡が面白いと思ったら直ちに(動画として)拡散・共有できること、その流れで、カバー歌手がどんどん登場して人気を増幅するようになっていることも大きいだろう。
ξ
この番組のアンケートは、15歳~35歳の若い世代800人を対象に実施したらしい。
その結果は次のようである。
2位 なごり雪 (イルカ、1975)
4位 DESIRE―情熱― (中森明菜、1986)
5位 I LOVE YOU (尾崎豊、1983)
6位 ダンシング・ヒーロー(Eat You Up) (荻野目洋子、1985)
8位 いとしのエリー (サザンオールスターズ、1979)
9位 時の流れに身をまかせ(テレサ・テン、1986)
10位 卒業 (斉藤由貴、1985)
松田聖子、中森明菜、尾崎豊がきっちり選ばれている一方、ド演歌やグループサウンズみたいな曲が選外の20位まで含めても(たしか)1曲も入っていなかったのは興味深かった。
やっぱり若い世代に残る歌と残らない歌には、はっきり分かれ道がある。
その若い世代に、なぜ好きかと問えば、親がよく聴いていた、それを子供の頃から聴いていたという回答も多かったそうである。
つまり松田聖子、中森明菜やサザンにキャアキャア言っていた世代がいつのまにか親になっていたということだ。
ξ
このうち、3位「ルージュの伝言」は人気アニメ「魔女の宅急便」(1989)の主題歌として使われていたから、6位「ダンシング・ヒーロー」は大阪・登美丘高校ダンス部の歯切れ良いダンス曲としてすっかり有名になったから、とコメントされた。
また、2位「なごり雪」、7位「木綿のハンカチーフ」が支持される理由に、遠距離恋愛(に対する癒し)というようなコメントがあったのは意外だった。
10位「卒業」も同じ内容で、10曲中3曲もが離別、訣別の情緒を持つ歌になっている。
しかも、この3曲はすべて「東京」がキーワードになっている。
しかし遠距離恋愛への癒しというような見方はワタシ(たち)のような同時代の者には全然思い付かず、これらは若い男女の離別、訣別そのものの歌だと思ってきた。
ワタシ(たち)にとって、学校を出れば東京やそれに準ずる大都市に出るのはやむを得なかった。
地元ではどうせ役場か郵便局か農協くらいしか仕事先はない。
だから一定の年齢になれば、身体的にも心的にも故郷とは大きく引き裂かれることを受け止めるしかなかった。
それはかなり大きな出来事で、おそらく一方通行の、故郷の人々とは縁を切るかのように遠くで新たな生活を始める未来を予想しなければならなかった。*1
つきまとう感情の揺れは、ひたすら「時代」と「社会」のせい(アイツもコイツも都会に出ていくんだ!)にして、諦念とその感傷のようなものを仕立て上げ、それでオシマイ!
とするのはワタシ(たち)の時代の「割り切り」といえた。
ワタシの子供に限って言えば、完全に親のせいで東京で大人になってしまった。
その代わり(と言うのも変だが)、地方と東京に身体や心が引き裂かれていく未来に苦悩することはまったくないだろう。
だから「君と歩いた青春」(太田裕美、1981)の情緒をつくっている一字一句を我がことにように聴くリアリティをワタシの子どもたちが持つこともまったくないだろう。
これは、どう生きるべきかとは、どちらを選択したらよいのかという問いとイコールであった「時代」や「社会」とまったく異なっている。
すんなり「時代」や「社会」のせいにできないのは、それこそ不安や疲労が絶えない時代、社会に居ることになるかもしれない。