ξ
高度な資本制社会に揺るがないアンドロイドとして最適化可能な理想の自分と
その反対の極の、資本主義どころか国家形成のはるか以前、自然や呪術に囲まれ緩やかな自然時間を刻む小共同体の自分と
どちらの姿を描いてみてもその場所には
病弱、心身障害、能力差からくる余剰配分の不平等、不公正その挙句の敵対・抹殺は必ず存在していました。
何よりどこに自分を置いても死そのものの理不尽は免れません。
資本主義に変わる理念など何もなく、今後、救済され得る理不尽はたいしたものではないと暴露されるにつれ
人間とは何か、なぜ存在するのかなどという、そもそもワタシたちに無用なつまらない問題がサブカルチャー(日常の生活思想)のところまで入ってきてしまいました。
不快な、鬱陶しい事態ではあります。
ξ
自分に実感できないことが、世の中の趨勢ということはあり得ます。
ワタシたちは、経済社会的にも政治的にも階層的にしか存在していないのだからそれは当然です。
現在、「ペントアップ需要」(一定期間消費が抑制された後の急激な消費増)と呼ばれる高額消費の急増が話題になっています。
引用記事の事例では
❶ ハワイでは、有名レストランの予約が取れない、その駐車スペースがない(これは米国内の経済活動の活性化による)
❷ 東京では、高級ブランド店が、特に若い消費者で賑わっている
❸ 欧州の高級リゾートの物件の需要が、別荘としてではなく、リモートワークの場所として急激に増えている
❹ 飛行機のファーストクラスの顧客がプライベートジェットに移行し、ファーストクラスは終焉を迎えている
❺ 中国では、海南島のデューティ・フリー・ショップの売行きが過去に類を見ないほどである
❻ 中国やシンガポールでは、高級和食(一人5万円以上)の需要が急増している
などです。
世界の富裕層は、新型コロナ騒ぎで各中央銀行が揃って流動性を供与した結果、株や土地など資産が著しく増加した一方、消費控えを強いられてきたが、今それが解放されつつあるということのようです。
つまり大規模な資産効果が消費を大きく押上げているということになります。
しかし、家計貯蓄の急増の面からも、十分予測されていました。*1
引用記事にも記されていますが、コロナで消費が凹んだのは、生活必需品ではなく旅行・飲食・その他レジャーをはじめとするサービス消費や高級品・装飾品消費です。
現在、マイナスの経済指標が公表されようが、国民生活が破たん・崩壊したわけではなく
多くのサービス・高額消費(民間消費の部分)が控えられたり、見通しがクリアになるまで設備投資(民間投資の部分)などが控えられているに過ぎません。
ξ
世界経済崩壊だの、「コロナ恐慌」だの、「コロナ後の世界」だの世の中が一変してしまうかのごとく喧伝した終末論者、陰謀論者、騒いで一儲けたくらんだジャーナリスト・評論家らのくだらなさが暴露されていくでしょう。
もとに戻りつつ、戻り切れないところは徐々に変わっていく、という見識こそ、はるかに現実的でしょう。*2
そもそも人の日常は「地味」の継続、コツコツした反復性から成りたっています。
あわてふためいて、ヒステリックに、リセットだのガラガラポンだの言ってみてもどうにもなるものではありません。
ξ
日本でも遅れて「ペントアップ需要」は、資産バブルが急激に崩壊しない限りくるでしょう。
そして超富裕層、富裕層のように株や不動産の低落の影響を、もろには受けない経済的中間層が控えめであれ、必需品を超えてモノ・サービスを消費して下支えし「ペントアップ需要」の底力をみせるでしょう。
現在でもスーパー・百貨店・家電などの売上回復指標ははっきり出ていますが
メルクマールは「ワクチン後」、営業自由・外出自由のきざしが見える頃、人々は急速にサービスや高額消費を始めると思われます。
コロナで路頭に迷う社会崩壊の姿をヒステリックに描く必要はありません。そのような趨勢があり得ないのはこのコロナ禍が証明しています。
ξ
ついでですが、ニュースによればもうすぐ困窮世帯向けに再び給付金支給も始まるでしょう。
現存する格差と絶対的貧困の緩和策、つまり不可欠の富の再分配(所得移転)は、社会主義、全体主義から国を防衛する「福祉国家」思想として広く定着し実行されてきました。
現在でも、米国バイデン政権でいえばコロナ禍の年度は福祉・教育・公共投資を強調した歴史的な大型予算となっています。
再分配の「間違い探し」を飯の種にしているリベラルはめでたく仕事が減るかもしれません。
こんなリベラルとなんら関わりなく、国と国との間で、供与、援助として再分配(所得移転)が普通に実行されてきたのと同様に、自国の国民(企業)への再分配は自明の選択肢として「地味」に続くはずです。