続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

「ためらわずにご相談ください。」 その2/2

これは

「ためらわずにご相談ください。」 その1/2

の続きです。

  

ξ

グラフ(写真)を眺めていると、死亡数、死亡率が最も小さい1960年代後半から1970年代は、人口構成的に今よりずっと健全だったと言ってよいと思える。

社会経済的にも、横並びの安定した(今は無き)中流意識が芽生えた時期であったことも幸運だったかもしれない。

こうして所得はそれなりに上昇し(毎年、給料が上がる)、死亡数も死亡率も低下の一途であれば、当時の庶民に、アジア的な貧しさが残っていたとしても、まるで「地上の天国」のように、キラキラハツラツとして生きていたのではないかと、想像したくなる。

それは生の意識が死をはるかに上回っていた時代(夏)といえるからである。

 

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https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai20/dl/gaikyouR2.pdf

 

ξ

こういう時代の活力を体験的に語った文章をみると次のようである。 

けれども、戦後、古い家庭の秩序が崩れることによって、家庭の中での老人の居場所が失われ、同時に、おとなのための暮しのかたちも崩壊しました。

一般に、親は子どもに経験を誇れないばかりか、むしろ子どもが持ち帰る新しい知識とか、新しい趣味にたじろがざるを得ない立場に置かれました。

わけても、六〇年代になると、・・・技術が革新されることによって、新しい職業が生まれ、それまでの職業のヒエラルキーが崩れていきました。

長年実直に町工場で務めた父親が、ひとりの娘を育て、それが大会社の受付嬢になった途端、娘の初任給のほうが父親より高かったというような、笑えない悲喜劇もあちこちでみられたのです。*1 

 

ξ 

5.婚姻数は、約50年前の1972年をピークに減り続け2020年には半減して約52万組、戦後最少となっている。

前回記事のように、誰でも結婚より訃報の方がずっと多いとは思っているだろう。

 

死亡数は、2003年以降、100万人を超えて増加しているが、1907年から1947年までの約40年間も100万人を超えていた。

しかし出生数マイナス死亡数がマイナスに転じて拡大し始めたのは2005年だから、それまで(1899年以降)一貫して誕生が死を覆ってきたといえる。

 

現在は、死が誕生を覆っている死の時代(冬)といえるかも知れない。

その特徴は当然、静寂、静けさである。

 

ξ 

現在、「不治の病」などという言葉を口にしてみたとき死語に直面したような虚ろさに気付いてしまうのはなぜか。

生や死に対峙して藻掻いてみせる「不幸自慢」、「悲劇のヒロイズム」などの自己憐憫が、ただちに嫌悪の対象になってしまうのはなぜか。

詰まるところ、昨日も死んだ、今日も死んだ、明日も死ぬだろうという、生の終わり、死(者)が、そこらへんにありふれたものになっているからだと思える。

すでに生が死に日常的に詰め寄られていたり、死が生を上回って意識されるからだといえる。

 

生と死の中間に漂う感覚は、病的かもしれないが魅惑的な静けさがある。

生き延びなければならない生、避けなければならない悲惨な死という対立は本当か。

もはや違うのではないか。

 

グスタフ・マーラー

生は暗く、死もまた暗い(「大地の歌」第1楽章)

と歌ったが

生は静寂無味、死もまた静寂無味。

 

時間は巻き戻せない、だから生と死の区別について高らかに語れる発展途上未開の場所に行ってもよいのだが、ワタシたちの大部分はそんな選択はしない。

だから、ゆるやかなガス室にいる最先端の膠着を視つづけることになる。

 

正直、現在こうした膠着を、ただのカラ元気ではなく明晰な理念のまま、どう救済するのか、はっきりしない。

  

ξ

まず、今どき親がかりで結婚したり家を購入して何が問題なのだ、一向にかまわないではないか、と声を大にして言っておきたい。

 

次に、平均的には誰も支援してくれない以上、おまけに乏しい年金しかない親の介護が発生するかもしれない以上、不安定就労が続く現状では婚姻数も出生数も、さらに減少して推移するだろう。

どこまで落ちていくか読めない現状にある。

 

そして平均のはるか未満の人々は、どうなるのか。

自分で稼ぐか親族を当てにするしかない世の中で、それからハズレた個人のための公的扶助がないわけではない。

厚生労働省のHPには、実にご丁寧に次のように記載されている。 

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生活保護を申請したい方へ (mhlw.go.jp)  

 

ワタシの周辺では(高齢の)受給者は増えていて、被支配層どうし、別にいがみあうことなく飯を喰ったり笑いあったりして過ごしてきた。

もちろん、少子化は我が国の社会経済の根幹を揺るがしかねない課題である、我が国は子どもを安心して生み育てる環境を用意する必要があるなどという、つまらない話は間違ってもしない。*2

 

 

*1:

山崎正和「おんりい・いえすたでい’60s」、文春文庫、1985

*2:

yusakum.hatenablog.com

 

yusakumf.hatenablog.com