続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

身体と心の不自由を超えようとする

 

過去にタイムスリップしたいとは思わない

 

現在を考えてみるとき、過去との違いを思い浮かべるのが手っ取り早いことがあります。

現在のように消費資本主義、情報資本主義が(市民)社会に徹底してしまった時代と、30年以上前、1980年代とを比較してみると

当時は日常空間に、インターネットなどまったく普及しておらず、従ってスマホ/PCといった端末も家庭にはない時代でした。

 

現在いかに生活が困窮していようが、1980年代にまだ、アジア的な貧しさの中の温暖な相互扶助が残っていたとしても、戻りたいと思う人はいないように思います。

すでに身体の一部になり切っている表現手段スマホ/PCが身近に存在しない世界、固定電話が家に1台だけという時代の不自由で退屈そうな暮らし(当時は当時で目まぐるしかったに決まってますが)は想像しがたいと思われます。*1

1980年代が好奇心と緊張感に満ちた初々しい(?)社会人だったワタシですら、その時代に戻りたいとは思いません。

 

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人は宇宙のなかから自分を考える

 

これら科学技術の進歩は誰の目にも明らかです。

「進歩」「発展」という言葉が耳障りならば「変化」と言い換えてもいいです。

学問としての哲学や宗教(神)は、哲学や宗教の研究・講義に過ぎないレベルまでその地位を低下させてきたといいますが、科学技術の成果は大衆レベルで享受してきました。

 

ワタシたちの思考は実現する、これを科学技術に限れば明らかにその可能性を信ずることができます。

ワタシのような自己免疫疾患の患者は、免疫反応を低減させるため免疫抑制薬を投与し続けるのでのではなく、本態が「誤作動」であるなら自己抗体のような原因それ自体を制御(始末)してほしいのです。

いずれ近未来に可能だと思っています。

 

科学技術への夢想は、人間の永遠性への渇望を癒やしているように思われます。

その契機が国家の軍事力の優位性の誇示や特定企業の資本主義的な利潤追求であっても構わないし、途上、非対称の発現による揺り戻し・停滞があっても構わない。

 

SF的世界の現実化、人間のサイボーグ化はますます進むでしょう。

ペースメーカー、人工臓器、人工関節によるサイボーグ化は当たり前、先端医療の世界では障害のある視力・聴力・味覚などの感覚器も置換え可能

遺伝子ドーピング(遺伝子操作による)と呼ばれる筋力、運動能力、知的能力の増強・改善も可能になっています。

  

ξ

銀河系の中心にはブラックホールがあり、そのため渦巻き状になっている銀河は人間時間でいえば非常にゆっくりと吸い込まれているといいます。

また身近な太陽には寿命があり、その膨張する半径は地球公転軌道に達すると計算されていますから地球や人間の存続には最初から限界があることになります。

そこまで考えなくとも地球は天変地異により生物種のほとんどが死に絶えた絶滅期に何度も遭遇(ビッグファイブ)しており、現在、6度目の絶滅期完新世に入っているとする研究もあり地球生物は不滅だという根拠は希薄でしょう。

 

人間生命の永遠性、地球の永遠性を主張してもそれは有限であると科学が主張する以上、その不滅を思想の根拠に据えることはできません。

 

古代宗教やスピリチュアリズム輪廻転生(生まれ変わり)による永遠性は、地球の生命体レベルで考えられていて、それを宇宙規模の「転生」に転換しない限り、現前の科学の前に信用されなくなるでしょう。

 現在のワタシたちは、すでに(少なくともエンターテインメントの世界では)宇宙規模のフィクションに完全に到達しています。

 

 

人はどのように他者と結びついているか

 

こうしてワタシたちは、宇宙に旅立つ生命の永遠性を夢見て上昇するフィクション(心)

寝て起きて食べて排泄を繰り返す人間の下降するリアリティ(身体)との

巨大なはざまで、スッタモンダし続けている実情にあります。

しかも寝て起きて食べて排泄を繰り返す側に圧倒的に引き寄せられて苦悩しています。

しかし天上的、自己超越的なフィクションに損なわれ、生物的自然に従う身体を無視したら死ぬことになります。

 

寝て起きて食べて排泄を繰り返す個々の人間の暮らしは免れません。 

これがソコラヘンで生きる、寿命を持った個人の、真っ当な姿だといえます。

 

ξ

こうして個人がなしえる表現(パフォーマンス)の蓄積には最初から身体的限界があることになります。

それでもワタシたちの表現は、身体を離れ世代(マス)的に引き継がれていきます。

 

ワタシの仕事でも容易に想像できます。

ワタシの仕出かしたことはごくわずかです。

しかしそれらが有用である限り、残り、伝えられ、改変され思いがけない形で世の中に定着していくことになります。

 

例えば天才的な作家や漫画家も突然登場したとは考えにくいのです。

現れては離れていった多数の人々の表現が、世代的に蓄積され、(ある時に)結実したと考えるほうが現実に合っていると思えます。

 

ワタシたち一人ひとりは、人間や自然の「真理」を知ることはいつでも不完全にしかできないが、意識しているいないにかかわらず「真理」の発見にはいつも関与しているはずだ

「真理」は世代的に蓄積され、また新たに発見され、未来にはより普遍性を持つようになるはずだ、と思えます。

 

これは、人間の叡智は段階的に発展するという(19世紀以来の)「近代」を免れていないことになるかもしれません。

しかし、このようにして個々の人間は、類としても他者と結びついていると言えます。

 

 

応用してみる    

 

人生相談

報われない人生、つらい=回答者・ヤマザキマリ(漫画家)

毎日新聞

 

人生は苦し過ぎます。小学校ではいじめられ、中学受験も失敗。中高時代も仲の良い友達はできず、大学受験期に両親が離婚し、幸せだと思っていた家族さえも壊れました。東京都内の私大に通っていますが、頑張って勉強しても報われない。うまく生きていくすべを持ち合わせていないのがつらい。真面目すぎる人ほど報われない世の中は理不尽です。(18歳・女性)

 

もう古い記事ですが、こういう人生相談は、絶対的貧困でないにもかかわらず停滞または転落する中間層の苦悩を解放する語彙の乏しさを典型的に示している事例だと思います。*2

ワタシも(いい年をして)同じ質問をしてみたいくらいです。

ヤマザキマリさんの回答は引用できませんが、(いい年をした)ワタシにこういう相談が難しく思えるのは、ワタシ自身の語彙も貧しいからです。

 

だから歯切れよく言うことはできませんが、苦悩の根幹にある人とのつながりの崩壊は、密着する同時代の空間で起こっているということはできます。

しかしワタシたち人間には、もうひとつ時間方向での人とのつながりがあります。

それは身体に密着した空間からはずいぶんと自由なつながりであって、関係を引き出すものとして過去の人々(世代)はいるし、関係を作り出すものとして未来の人々(世代)はいます。

このとき、ワタシたちの心は明らかに今を超えて拡張しています。

 

さらに想像することを許されるなら

日々、自然や異界にまぎれて、すべての生命(の)再生や生命(の)循環に生きることが自明であり、みみっちく自分自身と他者との個々の関係などあれこれ悩んでもいなかっただろう遥かな理想の過去と

存在とは何か、生命とは何か、すでにその答えを得ているかもしれないワタシたちの遥かな理想の未来までを、現在の思考の幅にすることができます。

 

個々のワタシたちが、時間方向に自分を置いてみたとき、現在に手を加え何かを終らせ、気づいた何かを産みだせそうな予感をもつことができます。*3

 

それは、自身のどうにもならない身体の不自由を超えることであるし、心に満ちてしまった貧弱な語彙を超える有力な方法ではないか、とワタシには強く思えます。