続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

マルクス主義はもはや可能ではないと思えること その1/2

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最近、日本を含む世界が気にしているのは、中国恒大集団(チャイナ・エバーグランデ・グループ、不動産開発)の破たん騒ぎではないか。

ここでいう「世界」とは、エスタブリッシュメントであるかないかを問わず継続的に金融取引に関与したり関心を持つ層の集合を指す。

リーマン・ショック(2008)と比較され、当時のように世界中に連鎖する金融危機・不況を招くかどうかを巡る論評が多い。

そして株式市場は急落急騰で荒れている。

 

習近平中国が、不動産バブル退治をはじめ国家資本主義の見直しに大きく乗り出しているから恒大は救われないという見方も強い。

だから習近平がそのソフトランディングにどの程度介入するのか注視されている。

 

世界中が、不動産バブル、株価バブルはいつか弾けるだろうとは思っている。

だからこの恒大がキッカケになるかもしれないとの不安がすぐに増幅する。

債務の規模がリーマンの半分程度だから、と楽観論を言われても、スパッと不安解消には至らない。

 

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ところで、マルクスエンゲルスによる共産主義は、どのように生まれたのか。

 

そもそも歴史historyとは、物語(story)同義だったそうである。

宇宙や民族の起源を教える神話であったり、英雄たちの活躍や権力者の正当性を物語る(≒捏造する)文書のことだった。

しかし19世紀にヘーゲルが、人類に「絶対知」に到達しようとする世界精神という知性を仮定し、段階的にその知性が発展していくという、画期的な、動的歴史観を唱えた。

遠くから思えば、唯一絶対神の文化圏ではそのような進歩思想は不自然とも思えないし、また救済的だ。市民ブルジョアが自ら歴史を創っていく未来への希望が感じられる。

 

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ヘーゲルを踏まえ、社会進歩についてマルクス生産力を重視し、その進歩の最後の段階が共産主義社会であると主張した。

マルクスは、「原始共産制社会」、「奴隷制社会」、「封建制社会」、「資本主義社会」、「共産主義社会」の5段階の発展形態を唱えた。

 

しかし共産主義社会はいまだ実現せず、資本主義を克服するヨーロッパ発・近代思想の総決算である共産主義は実現不可能な20世紀の夢物語、虚妄であったかのように、ヨーロッパ自身によるポストモダン思想に取って代わられた。

先進ヨーロッパの次の発展段階、最終段階として共産主義が実現していないことは、ヨーロッパ思想にとっては大きな衝撃(敗北)であり、思想的な総括をせずには済まなかったと言われる。

 

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それどころかロマノフ朝やら清朝やらの残渣をかかえたままの非ヨーロッパの地に

極めてイビツな、国家廃絶を具体的目標にすらしない一党独裁の一国社会主義国家が成立し、弾圧・抹殺による粛清支配スターリニズムを定着させた。

これらの非ヨーロッパの一国社会主義国家は、のちに内実が暴かれ、20世紀末に解体してしまった国家もあれば、中国のようにいまだ共産党独裁スターリズム国家として停滞している国もある。

 

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習近平中国では何が起こっていたのか。

ほんの数年前、プーチンスターリンを再評価している式典に習近平が列席しているニュース映像を観た。

先進資本主義国家に対抗する、一党独裁社会主義国家の「健在」と相互協調を喧伝しているようだった。*1

 

そうした流れでみると、習近平中国が、反トラスト法(日本の独占禁止法違反を理由にアリババグループに制裁金を科したり、学習塾サービスを非営利団体に変更する新規制を発表したり、IT、サービス、エンターテインメントなどの巨大産業を次々抑圧しようとしてきた狙いが腑に落ちる。

次の記事が、たいへんわかりやすく説明している。

 

鄧小平が中国で初めて経済改革に踏み切ってから40年、共産党の指導者たちは概して、市場原理が繁栄する余地を広げてきた。

それは何億人もの人々を貧困から脱却させ、何兆ドルもの富を生み出すことになった一方で、腐敗のまん延を招き、共産党の支配を継続させてきたイデオロギー的な基盤が損なわれることにもなった。

習氏の優先事項に詳しい複数の関係者によると、同氏は今や民間資本が自制を失い、党の正統性を脅かしていると考えている。

毛沢東は資本主義を社会主義に向かう途上の過渡的段階と見なしていたが、習氏は中国をそうしたビジョンに強制的に回帰させようとしている・・・。

・・・党が資金の流れをもっとかじ取りし、起業家や投資家、彼らの金もうけに対する条件を厳格化し、経済を今以上に統制する国家を望んでいるようだ。

習氏の資本主義締め付け、毛沢東思想への回帰 - WSJ

 

詰まるところ「国家主導型統制経済」だ。これは共産党の思惑を超えた、国家統制を超えた資本主義の膨張を強く規制し党の支配下に置く、復古的な試みのようである。

 

そのための手法、習近平イコール弾圧という国内外のイメージは「健在」である。

 

来年定年を迎える劉氏(注:習近平の最高経済顧問である副首相)は、6月下旬に滴滴(注:ディディ)がニューヨークで44億ドル規模の新規株式公開(IPO)に踏み切るのを阻止できなかったとして、毛沢東流の自己批判をすることを強いられた。

伝統的に党員を罰するために使われてきた自己批判は、毛沢東旧ソ連の指導者、ヨシフ・スターリンに倣って採り入れた慣習で、習氏率いる中国でも健在だ。

(同上)

 

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1980年代になると、鄧小平は富を社会全体に等しく分配する必要性を強調しながらも、中国が市場改革を進める中で「一部の市民が先に裕福になる」ことを容認する考えを示した。

富の不平等な分配は目下、深刻な懸念になっている。

中国の生活水準は劇的な改善を遂げたものの、所得格差の程度を示す「ジニ係数」は2000年の59.9から2020年は70.4に大きく悪化。

中国は主要国でも格差が最も著しい国の1つとなっている( クレディ・スイス 調べ)。

習氏が掲げる「共同富裕」、共産党の原点に回帰 - WSJ 

 

国家主席として長期在任を目論む習近平としては、深刻になった所得格差への人民(庶民)の不満増嵩をかわすことが不可欠と考えたようである。

ワタシのような部外者のアマチュアの思想的思い込みでは、強権発動型国家支配は失敗するに決まっているので

中国は今をピークに次第に凋落するか、習近平後には資本主義的揺り戻しがあるだろうと思っている。