続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

この24時間のこと

ξ

何日か前、期日前投票をしてきました。

ワタシは誰かに行動を呼びかけたりしたことは、かつてありませんし、今後もありません。

いつも自分自身が拡散してしまわないよう、収束するように考え続けています。

 

 

ξ

まず安倍元首相のご冥福をお祈りいたします。

画像や動画を観ると、ふつうの街角の演説と言ってよいような場所だった。

安倍氏は、勝つために役に立つなら、どこにでも行く、というような、ある意味、スパッとした気持ちのよさを持っていた。

あそこは危ない、警備が希薄なら行かないとか、保身的なえり好みをするようなタイプには見えなかった。

警備など、完全に人任せだったろう。

政治家は、その歴史からして演台に立った途端、命がけ、命はいつも狙われていると考えるのが普通なはずだ。政治信条がぶつかり合うのだから当たり前だと思える。

一方、俺はそこそこ有名人だし、当選すれば、歳費をもらえ当面の生活は安定しそうだ、ひとつ立候補しよう、では軽蔑されるだけだ。立候補を表明した途端、ばれてしまう。

 

こういう事件が起こると、すぐ警備体制は?、SP体制は? と騒ぐ輩がいる。

そうではないでしょう。

選挙期間中、警察がゴロゴロ皆動員されたら、社会秩序はどうなってしまうのか。

政治家は、政治信条を競って闘っている以上、選挙民の前で、命を張っているのでは?

「上級国民」には手厚い警護を、しかし、その他国民は警備の薄くなった街中で、通り魔に理不尽に殺傷されてやられ損。

こんなことは国民も、公安筋も可としないでしょう。

 

ξ

民主主義への挑戦と、口走った閣僚、野党らがいた。

政治テロに対して以外は、民主主義への挑戦などとは言わないでしょう。

まだ何もわかっていません。

バックは何者なのか、どこの国によるのか、あるいは国内クーデターなのか。

私怨の単独犯行なのか、あるいは頻発する「誰でもよかった」「刑務所に入りたかった」型の、虚弱な生命力が動機なのか、まだ何もわかっていない。

 

たとえば、逆上したワタシが、隣のオッサンを金属バットで滅多打ちにしたとする。

これは私怨だから民主主義への挑戦とは絶対言わない。

もちろん夜の繁華街で酔っ払い同士が喧嘩を始めても、民主主義への挑戦とは絶対言わない。

民主主義への挑戦と口走ってしまうのは、思わず政治テロに違いないと勘違いしたか、有力政治家への殺傷行為は、民主主義への挑戦でなければならないという、ワタシたちにはわからない、(無意識の)選民意識があるからである。

 

ニュース記事では、この種の政治家・経済人の発言が網羅されているので、その人物を吟味することができる。

 

ξ

印象でいえば、世界で起こっていることは例外なく日本でも起こるという、暗さである。

無理して明るく振舞っても、この暗さを取っ払うのは容易ではない。

参議院選の行方などに左右されない暗さである。

今朝も、とりあえず目が覚め、顔を洗い、バタバタと食事の用意をし、そして食器を洗う生活をしなければならない、というのがワタシの救いになっている。