続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

「幸福」とはどのようなものか、知ってみる  その4/4 ~ くつろぐ思考

これは

「しずかな夫婦」 ~ 静かな強靭

「幸福」とはどのようなものか、知ってみる その3/4

の続きです。

 

 

現在を真っ只なかで生きる人の近未来イメージ

 

「コカ・コーラ “I feel Coke” 」 ファンタジーを書いたあと

yusakumf.hatenablog.com

もとになったyou tube動画の3千近い数のコメントから

明らかに同時代を生きた人によるノスタルジックなコメントはすべて除外し

当時を知らない、まだ幼かった、または生まれていなかった(と思われる)人のコメントだけを一部抜き書きしてみました。

 

これらは、過去も考えず未来も考えず、理想危機感も何も無く今だけが生きる意味という、脆弱に気取った連中とはまるで異なり

自身を過去につなげるよう、そこから未来につなげるよう、時間や空間の流れのなかで現在を思い浮かべたい、考えたいという自然さに溢れています。

 

そうした、現在を真っ只なかで生きる人の近未来イメージと、ワタシの当時への感懐から出てくる思考とには、それほどの差は無いのではないか、大きく的を外してはいないのではないかと考えられ、それはワタシのひっそりとした自信にもなりました。

 

  • こうゆう大人に成りたかった。憧れた。

 

  • バブルの古き良き時代を知らないけど、決してそれと関係なくドラムから入る曲になんか心が騒ぐ …  なんか無性に羨ましい!  最近のドラマとかCMは幸せ感が欠けてて観てると日常がさらに重くなる感じがする

 

  • この時代は仲間、家族の存在がいかに素晴らしいかも創り出せれている気がする。

 

  • 就職氷河期世代です。日本経済が、世界を牛耳っていた頃のCMは、何度見ても「明るく、覇気があり、希望と夢と、明日が来ることが待ち遠しく、恐らく毎日会社に行くのが楽しくて楽しくて・・・・というような時代だったのだと思います」 とてつもない、強力な日本のパワーを感じるCMが好きです。

 

  • 当時ガキだった私にとってCMに出てくるお兄さんお姉さん達が憧れでした。でも恥ずかしさで親の前ではこのCMの事バカにしてました。 今見てもいつ見てもキラキラしてて大好きなCM。

 

  • 日本で歴代No.1のCMでしょう~出演者の方達に憧れていましたね … こんな大人になりたいなぁって

 

  • 何だか昔の日本スゲエな( ゚Д゚) とても爽やかで大人びていてカッコイイ 何だか日本スゲエよ。

 

  • スーツ着てローラースケートしているお姉さんやセーラー服が素敵すぎて、自分もあんなお姉さんになりたいって思って見てた。 今見ると次々に自然な笑顔が出てきて幸福感がすごい! 涙出てきた!  本当に最高に幸せになれるCM!!

 

  • 子ども心に憧れたな・・・自分が大人になったらこんな世界に行けるんだと思っていた・・・まさか自分がいわゆる失われたン十年世代になるとは露ほども疑わず・・・

 

  • コカコーラとJR東海はたまに見にきます。心洗われてまた頑張れます。

 

  • 仕事でイライラしてる時に見るようにしてる。見るとなんだかイライラしてる自分が馬鹿馬鹿しくなる。頑張ろうと思うよ。いいCMありがとう

 

  • 日本人がかっこ良くて美しい時代だった。 こんなお兄さんお姉さんが街で働いて恋愛して社会を築いて生きていた。 皆 大人になりたくて、大人っぽさを目指して素敵に輝いていたなぁ。 またこんな時代の流れが日本に訪れますように。

 

 

「幸福」とはどのようなものか、知ってみる

 

身体の消失自体は、一般的な文化現象ではない。むしろ西欧的な文化と、鋭く対立する点であろう。

自然の排除、人工空間の創出は、それに対して、一般的といってよい。

それらは、「脳化」の好例である。

スウェーデンでは、ポルノグラフィーは解剖学の問題だが、エリカ・ジョングは、わいせつとされるという。

それなら、鴎外もわいせつである。

ただし、この国(日本)では、ポルノグラフィーのほうが、わいせつとされるのは、周知のごとくである。*1

 

ヨーロッパ価値観調査を見てみると、驚くなかれ20代前半の幸福度は調査年が最近になるほど増大しています。

これに関連してフランスで行われた幸福感調査(2010)で、「非常に幸福」と応えた若者の、その「理由」や「経験」について、自由形式で記された回答を見ることができます。*2

 

【例1】

私はとても困難な事態を経験して、その期間は不幸でしたが、そのおかげでいまではすべてうまくいっています。

愛を見つけました。今年の夏に結婚するつもりです。

頼りになる誰か、自分を頼りにしてくれる誰かを持つということが一番大事だと思います。

勉強は楽しみで、いい仕事をしています。

優れた友達がいます。

私はとても幸運です。

クリスマス、家族と恋人に囲まれ、私は居心地よく感じました。いつも何かしら思うことがあります。物質的楽しみ(食べ物)も幸福のときに連なるものです。

友達と一緒にヴァカンスに出かけたとき。いつも笑っていました。パーティーをしました。そこでも居心地がよいという気持ち。

社会的関係もとても重要です。そしてそれを持つためには、最低限のお金とよき健康が必要です。

 

【例2】

好きなことを制限なくやっています。勉強、旅、余暇。

お金の問題はなく、並外れた欲望も持っていません。

大きな図書館があり、夜に帰ってくると、家で待っていてくれるひとがいます。これらすべてが私を幸せにしてくれます。

それに、人生に意味を与えてくれる情熱と計画があります。要するに、すべてうまくいっています。

ノルマンディーでの午後。ロゼ・ワインを飲み、チーズを食べ、友人たちと長談義をして、緑の草木のうえで寝ころびます。

夏の陽光の下、そよ風にのって穏やかにそよぐ小麦畑を眺めること。

恋人との初めての口づけ。

庭で一日読書をして過ごすこと。

アルカホンの海辺で太陽と松の木の匂いを感ずること。

 

ここでは、分不相応な欲望を持つかわりに、イキイキとした人生のプランを持ち

  • 自然に紛れて心と身体がくつろでいることの快
  • 家族そして友人たちと共にくつろいでいることの快
  • 親しいヒトと身体的に触れあう性的な快

を、それ以外に何か、幸福を説明するのに必要ですか、と言いたげに語られています。

 

がギリギリと固まって身体を傷つける様子はどこにもなく

身体が乱暴に振舞ってを消し去る様子もどこにもありません。

 

くつろぐ身体があって

くつろぐ男性性があり、女性性があり(=くつろぐ性自認があり)

なにより他者(環境となる存在)との「関係性」こそ、幸福のすべて、幸福の秘訣であるように語られています。

<他者との「関係性」>こそ、解放、調和、幸福、自由をもたらすものとして語られています。

これは驚くほど大切な現実に思えます。*3

 

ξ

日本なら、若者でも(例によって)あいまいに微笑んでしまうかもしれない心身の幸福がまっすぐに語られています。

アジア東端の日本であれフランスの若者の幸福と質が違うとは到底思えませんが

日本では、その幸せを享受する感度が、なぜか(脳側に)大きく損なわれているのではないかと思えます。

むしろ

なぜ私はこんなに不幸なのだろう、この不幸感はなぜあるのだろう

(脳側で)考える方が得意そうにみえます。

それは日本では、イロニーやシニカル(冷笑的)が、意味ありげに席巻する無意味な状況が、いまだ続いているからと考えられます。

 

ξ

そもそも規範的抑圧があるのに、さらに自分の「脳」で抑圧を積み重ね、いったいどうするのでしょう。

 

例えば結婚とは何か、経済的自立とは何かなど、軌範的抑圧が生み出し「脳」に強制しただけの新たな抑圧を、わざわざ深刻に考え込んでどうするのでしょう。

その顔つきは、いつも幸福から遠ざかっていくように歪んではいないか。*4

 

ヨーロッパの若者たちの幸福の報告(引用書にもっとたくさん収録されている)をこのように知ることは、たいへん心地よく感じられます。

その理由は、身体と心の、解放と調和に繋がっている、つまり人間の幸福や自由に繋がっている感触が、そこによく見えるからだと思っています。      (了)

 

 

*1:

養老孟司『身体の文学史』、新潮文庫、2001

*2:

見田宗介現代社会はどこに向かうか』、岩波新書、2018

*3:

yusakum.hatenablog.com

*4:

yusakumf.hatenablog.com