続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

「静か」な バブル

これは

「新しい歳時記」は、どのように可能か。

の続きです。

 

ξ

ワタシの住む郊外、新興住宅地の繁華街を歩いていると

得体の知れない外国人が3、4人でたむろしていたり

老若男女、金持ちふうの人も貧乏人ふうの人も

それなりのことのために行きかい、それなりに混じり合い雑然としています。

何が起こるかわからない雑踏をくぐり、混じっていくときの雰囲気は好きです。

隙の無いゲイテッド・コミュニティで磨き上げられたセレブリティには、ワタシは馴染めないだろうし、きっと一生、縁もないでしょう。*1

 

ξ

2月22日木曜日、日経平均株価は、1989年12月につけた史上最高値を更新しました。35年目にしてようやく戻したということになります。

その間の世界の株価や資源原油価格の上昇との差異をみれば、「ようやく」という感じです。

 

この日のために用意されていた(はずの)ニュースが一斉に配信されました。

それらから不動産関係の当時の状況を記したニュースを拾ってみます。

 

【5月29日】東京都の土地白書「マンションが平均年収の11倍に」

この日に発表された東京都の「土地白書」によりますと、都内の分譲マンション(広さ60平方メートル)の平均価格が、前年・平成元年の調査で7680万円と平均的なサラリーマン世帯の年収の11倍に達したということです。

都内でマイホームを持つことが難しくなり、狭い賃貸住宅に住む人も多く、その家賃も高騰しました。

異常なほどの地価の高騰で都内に住む人の居住環境の悪化が問題となり、「持てる者と持たざる者の資産格差が広がり社会的な不公平感を強める結果になっている」と指摘しました。

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240222/k10014367661000.html

 

30年以上前の数字の基礎はすぐに分からないので、手元の数字で当時と比較してみます。

2022年の東京23区内の新築マンションの㎡単価は128.8万円不動産経済研究所なので、60㎡では概算7730万円です。

また、2023年家計調査の二人以上の勤労者世帯の年収は約730万円です。(東京都土地白書から逆算すると平成元年頃のサラリーマンの世帯年収は約700万円です。)

 

驚くことに、すでにマンション価格は年収の10~11倍であり20世紀のバブル期と同様の水準になっています。

 

しかし現在、高騰する住宅価格は、取り立てて政治的な騒動にも暴動にも至っていないし、また株価史上最高値更新のニュースが出たところで、騒いでいるのは関係者だけ、人々はひとごとのように「静か」に見えます(報道でもそのように云う)

この無表情な反応はなんなのでしょう。

 

 

ξ

ワタシは20世紀末の東京の不動産バブルの実態は知りません。ワタシが東京に異動したのはバブル後のことでした。*2

山手線の内側でも地上げ後の草っぱらが、まだあちこち残っていて、空の見晴らしが今よりずっとよかったことを覚えています。

 

別にすさんだ感じは持たなかった。空き地があることにホッとしたりした。子どもの遊び場に開放されていたらよかったのに、とすら思った。

 

その狂騒ぶりは、次のような記述を読むとわかります。

 

街を巨大な虫が喰い散らかしたかと思うほど空き地が拡がっていた。

建物の土台や床面が剥き出しにされ、陽に晒されていた。

パワーショベルで解体されているビルもあった。

コンクリート壁が簡単に割られ、鉄筋が飴のように曲げられていた。

雑草が繁るままの空き地もあった。

それだけではない。空き地の周りのビルや家屋の入口には「移転のお知らせ」とか「永い間、お客様の御愛顧誠にありがとうございました」という貼り紙が少なからず目につく。・・・

 

港区の麻布周辺でも同じような空き地や空き家が眼に入った。

空き地の中には「この土地は売りものではありません。悪質土地ブローカーとは一切関係ありません」とわざわざ看板を立てた所もあった。

空き地や空き家がこれだけ生まれているのも、急激な都心の地価上昇によるものだが、それにつけ込んだ詐欺や脅迫が頻発している。

数年前までまったく馴染みのなかった“地上げ屋”とか“底地買い”といった言葉も今では誰もが口にするまでになった。

神田や麻布などの都心には戦前から借地や借家に暮らす人が多いが、そのような居住者が立ち退きを強引に迫られている。

いや、借地人や借家人ばかりでなく、地主までも嫌がらせ、脅迫によって無理やり立ち退かされることすらある。

神田では地上げ屋による放火事件もあった。

ダンプカーやパワーショベルで、今も生活しているビルや家屋を壊すという犯罪事件も随所で起きている。

猫の額ほどの土地でも数千万円、数億円ともなれば、その程度の罪を犯しても地上げ屋には計算が合うのであろう。

 

松山巖「摺上川の無人小屋」、『都市という廃墟』所収、ちくま文庫、1993)

 

空恐ろしい狂騒ぶりです。

しかし同時代の、画期的なディスコ「ジュリアナ東京(1991開業)に、周辺の家々の住民の顰蹙を買うほど長蛇の列をなして通った若者たちが身体の解放に費やした熱狂

ダンプカーやパワーショベルまで持ち出した土地ブローカーたちの狂騒とは、明らかにクロスし重なっています。

 

だがこれを、21世紀ふうの単純なポリコレ感性で、世間とそれを構成した人々の沸点は今よりずっと低かったのだ、時代の民度が低かったのだ、とあざ笑って済むわけがありません。

 

ξ

その後30年かけて、人々は輸送コンテナのような矩形の、大量に供給された規格型アパートや狭隘マンションにすっかり身体を慣らすように生きてきました。

それ以外に、デフレ下の賃労働者として都市やその近郊に住む方法が無かったからです。

そのなかで規格に合わせれば狂騒とも熱狂とも無縁に、何となく生きられることもわかってきました。*3

不動産が高値異常値をつけようが、株価が史上最高値をつけようが、別に身体は動揺しないですみます。

書き留める言葉、に閉じていく言葉は浮かんでも、隣の他者に声を出して語りかける言葉、身体を開いていく言葉は、遠くに置いてきてしまったようです。

 

誰かを激しく愛してはいけないし、そんなことをしたら誰かを激しく傷つけてしまう、跳ね返って自分が傷つけられるのはもっと嫌だ、だから激しく愛されるのも嫌、きっとおののいてしまう、「静か」に、「静か」に呼吸していたい。*4

 

21世紀初頭に、学生のファッション感覚にも明確な変化の「潮目」を感じたことを見田宗介社会学は記しています。
先輩らのブランドものや最新のモードを追うバブリーさを「微妙にけいべつする空気」があった、と言います。*5

 

ワタシはこの「空気」を肯定的にはとらえられません。

政治的活動もしない、社会的騒動も起こさない、とにかく人と比べて競わない、争わない、つまり心身が動揺するようなことはしない

言ってみれば、自分自身の大人しく寛大な「育ちの良さ」の美学を前面に出してみたい生き方のようです。

 

しかし「育ちのよさ」といえそうな大人しさを最優先する美学でなく、前へ、前へ、前へ出て、波の中で叫んだり、泣いたりしなければ、みずからの身体(=個)の解放など無いのだ、と切に思います。

それは

「悪質土地ブローカーとは一切関係ありません」

社会(=表現された個)に、常に立看を掲げ向かっていく態勢ともいえます。

 

 

*1:

yusakumf.hatenablog.com

*2:

yusakumf.hatenablog.com

*3:

yusakumf.hatenablog.com

*4:

yusakumf.hatenablog.com

*5:

見田宗介「脱高度成長期の精神変容」、『現代社会はどこに向かうか』所収、岩波新書、2018