続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

「無名歌」のこと、私論 ~ 霊的な場所

これは

「人妻ゆゑに恋ふ」こと、私論

の続きです。

 

ξ

無名歌とは作者の知られていない歌を言う。

万葉集20巻、4500首あまりのおよそ半数が無名歌だそうだから、これは編纂者による意図的な構成であることがわかる。

無名歌は貴族以外の階層=民衆(街中に住む庶民農民によってつくられた。

それを採集するのだから、広く民衆に歌謡・民謡として口ずさまれ流布していたこともわかる。

文字が普及していない時代、まるでシャーマンの祝詞のように高らかに諳んじられそして伝誦され広まった。

 

うち日さす 宮道(みやぢ)を人は 満ち行けど わが思(も)ふ君は ただひとりのみ (巻一一、二三八二)

 

ーーー日のさす宮殿への道は人々の晴れがましい顔で満ちています、でも私の目がしきりに追っているのは、颯爽と過ぎる官人などではありません、人々にまぎれ歩んでいるあなたひとりだけ、です。

 

なんか映画やTVドラマのクライマックスで、見慣れたシーンのようだ。

ワタシたちは、遠い万葉時代の人々が現在と変わらない感受性をもっていることを見つけて親しみを持つ。

 

ところが最近、ワタシはそれは違うのではないかと思うようになった。

ワタシたちの感受性は、ヨーロッパ思想や中国思想などとはまるで無関係な場所で、二千年近く前には、古代的な宗教的感性とともに、すっかり完成されていたのではないか。

だからその後現代まで、様々な表現は、外来思想や外来宗教に影響され、その感受性をひねり回してみたり、屈折させてみたりしてきただけではないのか。

ワタシたちは現在、万葉の時代以前には完成していた日本人固有の感受性を、繰り返しいじり回しているだけではないのか。

 

 

ξ

東歌(あずまうた)は東国の無名の人々の歌であり、万葉集では1巻(巻十四)を東歌に充てている。230首もあるそうだ。

東国とはあまり厳密な区分ではなく、畿内より東の地方を指し、ミヤコからずっと離れた東の地域といった距離感のようだ。

 

東歌と区別しがたい防人(さきもり)の歌がある。

さきもりは「岬守」を意味し、大陸・朝鮮半島の外敵から守るため九州北部最前線に送られた兵士である。

7世紀以降、3000人くらい配備されたという。この防備に朝廷は東国の兵士を徴発した。

往き帰りの東国・ミヤコ間の移動費用も出ず、一度徴発されたら二度と帰れない防人も多かった。

朝廷による徴発は、妻や家族との永遠の訣れを覚悟することにもなり防人歌は独特の悲哀を歌うことになった。

防人歌は作者名が記されているものが多いが無名歌同様、民謡・歌謡として口ずさまれ伝えられたものとされる。

 

足柄(あしがら)の 御坂(みさか)に立して 袖振らば 家(いは)なる妹は 清(さや)に見もかも (巻二〇、四四二三)

 

ーーー足柄の峠(神奈川と静岡の境)に立って袖を振ったならば 遠い家にいる妻ははっきりと見るだろうか

 

もちろん夫からも妻からも互いに見えるはずが無い距離にいる。

武蔵国の家を離れはるか足柄峠まで来てしまった夫が、妻に見えるはずの無い袖をしきりに振り、恋うる心情をハラハラ崩れ落ちるように歌ったものなのだろうか。

そうであるなら、子供じみた、ずいぶん薄っぺらな内容の歌だ。

到底そんな歌だとは思えない。

 

ξ

こういう歌をどのようにわかったらよいのだろう、と考える。

現在、霊的な場所(時空間)があるとすれば、はるか彼方、日常ほとんど意識されないところにあるとしか言いようがない。

しかし万葉に先だつはるかな時代から、霊的な場所(時空間)は地表の人々の中に蔓延していたといえる。*1

 

足柄の峠は、防人たちにとってまるで神社詣をし御祓いを受けるような節目の場所ではなかったか。

それにより心身を一新し、ここまでの旅路を神々や身近な妻や家族の魂に感謝し、別離の悲しみは畳んで仕舞い、さらにこれからミヤコに向かう気持ちを高めていく場所であったように思える。

防人たちはそれぞれ、祝詞のように歌を諳んじ、遠い妻や家族に袖を振り

この峠を旅の節目の場所として広く伝えてきたのではないかと思える。

 

「御坂」とは、神の領有支配する場所を意味した。

また、「見もかも」の見るとは、魂を全身で知覚することも意味した。

 

そうすると、別離の不幸(苦悩)を鎮め、さらなる旅を鼓舞する節目の歌、転換の歌のように変わる。

 

別離を嘆き、恋焦がれる歌なんかじゃない。

あるいは現代風に、別離とは身体が離れることと考えれば訣別の歌になってしまう、いや、そんな歌でもない。

神々が身近にいる場所で、魂が飛び交う場所で、別離や訣別や恋の耐え難い苦悩を鎮める。

足柄の「御坂」は、そうした(わずら)いを切る節目の場所だったとみえる

 

ξ

色ぶかく 背なが衣は 染めましを 御坂(みさか)たばらば ま清(さや)かに見む (巻二〇、四四二四)

 

ーーーもっと色を濃くして あなたの旅衣を染めておけばよかった、そうすれば足柄の峠に立つあなたをはっきりと見ることができるでしょうに。

 

これは前の歌とペアになる返歌。

徴発された防人が足柄峠に達した様子を妻が思い詠んだ。

もちろん妻に、旅衣をいかに濃く染めようが見えるはずがない。

武蔵の国に残された妻には夫の不在だけが確かで、遠い足柄峠も何もかも、想像してみるほかない哀歌を、旅立ちの時から繰り返し口ずさみ気をまぎらわせていたのではないかと、(読む方も)想像できる。

しかし夫が足柄峠に達した頃、妻にとっても毅然とした節目のとき、転換のときになる。

 

《あなたの体から届いた魂を、このたび私はしっかり受け止めました。もはや別離の悲しみも、悲しむべき別離もありません。これからもどうか御身大切に。》

 

ワタシたちのはるかな無名の祖先は、決して打ちひしがれない暴風雨のやり過ごし方として

自らの不幸を悲しみ、笑い、励まし、終に霊魂を響かせ、その(わずら)いを切る、驚くべきスベを繰っていたと思える。

それは例えて言えば地表からいくらか高みに上がったところに霊的な場所(時空間)を見て、魂の行き来にゆだねる、現在では想像しがたいワザであったともいえる。

これは起源の信仰であるか。

*2 *3 *4

 

 

*1:

日本南島や北方アイヌの伝統的な宗教行事を映像で観ると、それらが神々や霊魂との交流儀礼であるように、ワタシたちの祖先は、神々や霊魂と身近に交流する世界をフツーに生きていた。

*2:

yusakumf.hatenablog.com

yusakum.hatenablog.com

*3:

参考文献:中西進『古代史で楽しむ万葉集』、角川ソフィア文庫、2010

*4:

現代語訳はすべてブログ主の意訳です。