続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

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続 ・「静か」なバブル ~ 史上最高の個人所得へ

これは

「静か」な バブル

の続きです。

 

ξ

上の記事で、東京都の新築マンション価格はすでに20世紀のバブル期と同程度の相場(世帯所得の10~11倍)になっていることをみましたが、個人の所得はどうなっているのでしょう。

 

次のニュース記事のように、総務省が公表している個人住民税(所得割)の課税対象所得を納税義務者数で割って1人当り所得(当然、年収より小さい)を算出して、20世紀バブル期と比較してみます。

1人当たり所得は、過去最高が1992年度であることから、その年度と比較します。

 

【定義】1人当り所得(個人所得)= 課税対象所得 ÷ 納税義務者数

 

(2023.9.29)個人所得、3割の自治体がバブル超え 東北・九州や東京 - 日本経済新聞

www.nikkei.com

 

ξ

総務省統計資料(e-Statなど)を利用して、東京都の1992年度とその30年後、2022年度を比較すると、個人所得は、すでにバブル期を超えています。

1992年度    約488万円  2022年度 約492万円

 

この30年では、納税義務者数も課税対象所得も1.3~1.4倍に大きく増加しています。

想像でしかないが、これらには、夫婦共働き世帯の増、 不労所得(≒資産家)世帯の増、そして 東京に(一極)集中してくる労働者の大幅増などが貢献しているはずだと思えます。

結果として、賃金×就業者人口増による課税対象所得の大幅増、この間の株式や不動産などの売却益増から一人当たり所得が大きく増加したと思えます。

東京の経済的豊かさの根源は、人口が集中していること、受け皿となる産業と都市環境が膨張していることであり、これは誰もが認めざるを得ないでしょう。

その中では、情報通信、エンターテインメント、金融・保険、物流などにおいて高度にデジタル化した産業への人材吸収も進んでいると思えます。

 

ついでに都府県別の個人所得ベストテン2022年度)は次のとおり。東京都が突出しています。

 

❶ 東京   492.0万円

❷ 神奈川  404.9

❸ 愛知     381.8

❹ 兵庫     371.6

❺ 千葉     368.0

❻ 大阪     364.6

❼ 埼玉     359.5

❽ 京都     358.2

❾ 奈良     351.5

❿ 滋賀     345.6

 

ξ

当然、2022年度の都心特別区(23区)も、個人所得は20世紀のバブル期1992年度)を凌いでいます。

23区は、この30年の課税対象所得の増加割合が東京都平均よりかなり大きく、この結果、個人所得の上位区は、次のように東京都平均をはるかに超え乖離しているのがわかります。

 

❶ 港区         1,471万円

千代田区 1,076

❸ 渋谷区     1,000

中央区        760

❺ 目黒区        684

❻ 文京区        667

❼ 世田谷区    603

❽ 新宿区        599

❾ 品川区        551

❿ 杉並区        501

 

(2024.3.19)https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-03-19/S7NFSZDWRGG000

 

東京都は、このように2022年度時点ですでに20世紀バブル期の個人所得の史上最高額を上回っていたが、全国では約3割の区市町村でバブル期超えとなっているそうです。(前掲記事)

 

ξ

統計データを見て、後付けでしか見解を表明しない日銀もついに「デフレでなくインフレ状態」としました。

また去る3月13日春闘集中回答日、組合の要求通り満額回答相次ぐと報道されました。

岸田政権も「日本経済は、三十年ぶりの変革を果たすまたとないチャンスを迎え」、「三十年ぶりの賃上げ、過去最大規模の設備投資、三十年ぶりの株価水準、五十兆円ものGDPギャップの解消も進み、税収も増加しています」と高ぶっています。

 

このように社会上層のアナウンスでは、デフレ・低賃金の時代は終わったと明確に宣言されています。

 

そして日本人の平均的所得が、(ようやく、ですが)史上最高額を更新していく流れにあれば、人々の間に社会・経済の現状を肯定的にとらえる流れが拡大していくほかないと思えます。

平均値が実態を示さず、富裕層と低所得層に二分され、平均的所得層(=中間層)が空洞化していたとしても、です。*1

 

メディアの主張する社会責任論も、何もかも自死ですら)デフレ・低賃金のせいにしてきた時代から

日本経済復活の光と闇、格差や分断は「闇」の部分、「副作用」の部分というように、次第に社会責任論も半分の規模にトーンダウンしていくでしょう。

 

ξ

この国には、いまではただ、世界のどこにあってもおかしくない都市、それだけが茫漠と存立している。 *2

 

この傾向は、1990年代に入ってからはっきりしてきました。

「東京」は、すでに合法と非合法の入り混じった無国籍な空間と化しています。

その極には、単に現住所が東京/日本であるに過ぎないという超富裕層が住み、日本的な習俗・文化や教養・教育に浸ることもなく、すべてにおいて世界水準(所得も生活環境も)と参照される無国籍であるしかない人々がいます。

 

そのもう一方の極には、言わずと知れたギャング、フィクサー工作員らとそれに連なる人々がいて混淆しています。

従来のヤクザのように日本人である必要もなく、ここでも無国籍な層をつくっています。

 

剥き出しの資本主義を徹底すれば、世界のどこであれ都市は無法、無国籍になるしかありません。

無闇に所得が増えていくだけなら、人はどこまでも際限なく無法、無国籍な世界に誘惑され近づいていくでしょう。

(巨大なシンジケートによるスポーツ賭博に際限なくのめり込んでいくように)

 

ξ

幸いか不幸かワタシは、江戸期のルーツを幾つか見出せる東京の東側地区、ゴミゴミとした下町にいて

知っているのは、巷(ちまた)と、茫漠とした都市と巷が混淆した(商業的)「都会」までであって *3そういう暮らしに溶けている自分自身の生活思想を、今までも、これからも一番に気にかけていくと思います。

 

かつては株も不動産もダメだ、現金化する(現金で持つ)のが良いという時代はありました。

しかしここ10年くらいで様変わりしました。

本当に(長期の)インフレ時代に入ってしまったのかどうか気にしているところです。

 

インフレでは、嘘のようにモノの売行きが良くなり、値上がりが続いて企業も個人も収益・収入が増えて豊かになり、さらに売行きが良くなり世間に将来への楽観論が拡がるようになります。

いくらか借金を増やしてもモノを買う状況が続けば、さらに経済活動が膨らみ、豊かさや楽観論もさらに膨らんでいきます。

 

エアコン買換えは来年は遅い、上がってしまう、早く買った方が良い、車の買換えは来年には延ばせない、早く買った方が良い、家は今年中に建てた方が良い、建築資材や人件費が上がる、という空気がインフレです。

モノは上がる、手元の現金よりモノで持っていたいという、ほとんど経験のない空気です。

さて今、ワタシはちょっとした高額商品を、買おうか先送りにしようか、その思案中です。

 

 

*1:

yusakumf.hatenablog.com

yusakumf.hatenablog.com

*2:

松山巌『都市という廃墟』、文庫版解説、ちくま文庫、1993

*3:

yusakumf.hatenablog.com