続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

「新しい歳時記」は、どのように可能か。

これは

劇的に変化する共同体と、心地よく安定した共同体で、「二重」に生きること その2/2

の続きです。

 

ξ

一月はいうまでもなく新年で、正月のさまざまな行事は、初詣から皇居の国民参賀をも含めて、そのほとんどが生活の中に定着したようです。

政治的にどれほど進歩的な思想を抱いている人でも、門松を飾り、鏡餅を飾る新年の風習に、目くじらを立てる人は少ないようです。

一月十五日の成人式にしても、・・・依然として廃止される様子はなさそうです。

とくに、地方の若者にとっては、これは晴着を飾って仲間同士が付き合う、ひとつの新しい儀式になりつつあるように見えます。

・・・

 

こうして一年が過ぎて行くと、十二月にはボーナスとお歳暮の、あわただしい日々が訪れ、そして一年を締めくくる国民的行事として、視聴率七〇%を誇る紅白歌合戦、「ゆく年くる年」の放送が流れて一年が暮れていきます。

 

山崎正和「新しい歳時記」、『おんりい・いえすたでぃ’60s』所収、1977)

 

国民の生活が安定しはじめた20世紀後半の年中行事(歳時記)として、当時、誰もが頭に浮かべることができたはずの、こういう本当に穏やかな情景は

いつの間にか低予算テレビ番組の、無理くりの話題づくりの空疎で安易な材料に過ぎなくなりました。

 

テレビによって世界は同時的に結び付けられ瞬時の情報共有が可能になった、などと驚いていた時代はとっくに終わっていて、ネット情報に質・量とも完全に先行された現在、テレビの存在意義は分からなくなっています。

 

ワタシの子どもらはテレビを持っていません。

その代わりPC大型モニターは所有していて動画配信はたっぷり楽しんでいるようです。

 

こうしてテレビと歩調を合わせるように廃れていった年中行事、習俗・伝統は、(国民的な)厚い層を作ることがまったくできなくなりました。

このような歳時記は、ノスタルジアとして縮小し、やがて消えていくほかないと思えます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=W0k2VFPxd14

 

ξ

20世紀安定は消滅しつつありますが、その代わりは残念ながらまだ見つけられていません。

それが、21世紀の現在も急激な変化に直面しているワタシたちの、ソワソワと捉えどころのない不安と孤独の遠因であるように思えます。

それは人間が、小さな親密な共同体から大海に放り出されてしまって以来、繰り返し襲われる不安と孤独の記憶ともいえます。*1

 

ワタシたちは、ひょっとしたら2000年以上にわたる日本的なるものの終焉のなかに居るのかもしれませんし、パサパサとした高度資本主義(情報・金融資本主義、消費資本主義)のなかへ、もっともっと引き寄せられていく、突っ込んでいく過程に居るような気もします。

 

それに逆らおうと、神懸った日本的なるもの、古代・中世由来の呪術性をまとった言説への回帰に期待することだけは御免です。

 

世間はすでに日本的なるものを、インバウンド目線のように、もっぱら消費文化の一環としてとらえようとしていることは否定しようがありません。

日本的なるものは、売れてナンボの世界にいるようです。

 

(2023.12.20)変わる爆買い、漆塗りや宝石人気-11月訪日客数はコロナ禍前水準

www.bloomberg.co.jp

 

ξ

現代ふうの卑近な例を出せば

黙っていても私の能力を、上司(=支配する側)はわかっているはずだ

待っていれば自分に白羽の矢が立つはずだ

 

その一方

自己アピールの激しい同僚に対して

出世欲、上昇志向、提灯持ち、薄っぺら、口先だけ、空気が読めない、野心見え見え

など考えつく限りの罵詈雑言を陰で浴びせます。

 

挙句、その同僚が抜擢されれば、上司はバカだ、見る眼が無い、と陰口をたたいて自らを慰めようとします。

近世の、大奥、御殿女中の(妬み・嫉み満載の)世界を覗き見したような嫌らしさです。

 

ワタシは、日本的なるものは滅び、「自己アピールの激しい同僚」が先頭に立つ時代、分断と格差の「とことん資本主義」の時代が、さらに徹底していくだろうと覚悟しています。

それ以外に「圧倒的な敗者」であった個人が、この30年の停滞を脱する道はありそうもないからです。*2

 

ξ

しかしそれは強要でも抑圧でも支配でもなく、明らかに幸福の追求に結びついています。

 

日本人と西洋人(北米)の幸福観の相違について、最近の興味深い研究によれば *3

現在の日本的幸福とは次のようなものです。

 

●幸福の陰と陽

●他者とのバランス

●人並み志向

●まわりまわって自分にも幸せがやってくるという信念

〈協調的幸福観〉

 

一方、北米の研究(1995)では、幸福な人間とは、若く健康で、よい教育をうけており、収入が多く、外向的・楽観的で、自尊心が高く、働く意欲がある、という者にまとめられるそうです。

 

従って北米的幸福とは

●個人の自由と選択

●自己価値の実現と自尊心の高さ

●競争の中で、もまれる

●それらが翻って社会を豊かにするという信念

〈獲得的幸福観〉

 

のようになります。

 

異論はあるかもしれませんが、ワタシは(アジアである)日本は「北米的幸福」を志向する文化に大規模に移行しつつあり、それは不可避・不可逆だと思っています。

その〈獲得的幸福観〉の正当性(正統性)は否定しようがないからです。

 

ξ

さて現在、日経平均でいえば、33年振りの高値圏にいますが、2024年、世界は再度金融緩和に舵を切るだろうからと、20世紀の3万8千円を予測するアナリストも出てきました。

この楽観的な見通しにワタシは同意したいと思います。*4

来年もまたコツコツと稼ぎ、貯め、陽気に消費するようにしましょう。