続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

劇的に変化する共同体と、心地よく安定した共同体で、「二重」に生きること  その2/2

これは

劇的に変化する共同体と、心地よく安定した共同体で、「二重」に生きること その1/2

の続きです。

 

 

「宝船」 と 「初夢」

 

民俗学者折口信夫(おリくちしのぶ、1887~1953)は、除夜の夢である「宝船」と、正月二日「初夢」について、次のように述べています。

 

初夢と宝船とに、少しの距離をおく必要があったからこそ、江戸の二日初夢などの風ができた。

除夜の夢と新年の夢とには、区別を立てねばならなかった。

除夜の夢のための宝船が、初夢と因縁深くなってからは、・・・初夢のつき物として宝船まで二日の夜に用いられるのであった。・・・

 

ところで、宝船の方は、節分の夜か除夜かに使うのが原則であった。

宮廷や貴族の家々で、その家内に起居する者はもちろん、出入りの臣下に船の画(え)を刷った紙を分け与えることは、早く室町時代からあった。

とこの下に敷いて寝たその紙は、翌朝集めて流すか、埋めるかしている。

だから、この船は悪夢を積んで去るものと考えたところから出たことがわかる。・・・

 

さらに原形にさかのぼって見ると、たんに夢を祓うためではなかったろう。

神聖なる霊の居所と見られた臥し所(ふしど)に堆積した、有形無形の畏るべきもの・忌むべき物・穢わらしい物を、物に託してすてて、心すがしい霊の落ち着き場所をつくるためである。

 

折口信夫『古代生活の研究―常世の国』、角川文庫、2016年版)

 

年末年始、除夜から正月にかけてはひと続きのもの、まとわりついた邪気をきれいに祓い、新たな心すがしい霊の居場所を用意する一連の行事であったことがわかります。

一秒ごとのカウントダウンで陽気にスイッチを切り替えてしまう昨今の年末年始とは別世界です。

 

日本において、神社仏閣から庶民の家に至るまで、年末(師走)に広く行われてきた「大掃除」行事の意義は明らかであり

日本人は無意識であれその根底のところで、「邪気を祓う」そして「心すがしい霊の居どころを整える」習俗のなかに生きてきました。

正月に女児・女性が艶やかに抱える羽子板(写真)も、その謂れは、無病息災を祈るもの、邪気を祓うものでした。

 

https://www.youtube.com/watch?v=W0k2VFPxd14

 

ξ

20世紀後半の技術革新は、すべての時間を劇的に均質化、均一化させてきました。

同じ時間として均質化されること、同じ時間として揃えられることこそ価値がある、アナタの時間、ワタシの時間という区分は無意味なものになりました。

当然、このノッペラボウな時間感覚は人々に自分を見失いそうな不安や疲労をもたらしました。

 

こうした邪気ともいえるものに、無意識であれ対抗的に持ち出されたものは、(迷信であろうがなかろうが)60年に1回という時間幅でしか現れない「ひのえうま」のような不可思議な習俗を畏れてみることでした。

この「ひのえうま」の習俗に資本主義的合理性はまったくありません。

 

もう一つ例を挙げてみます。

高度なクリーンルームで、半導体の製作をしたり医薬品の開発をしたり微生物を取扱ったりする、人工的な空間は、「あらゆることが凝縮して行われた」変化のひとつだったでしょう。

ワタシたちがそのあまりに人工的な空間にさらされる毎日に、<不>自然、危うい邪気(不安や疲労をもたらす)を感じ、時に、どこか手付かずの遠い空間を思ってみるのも当然でした。

 

このような危うい時間・空間は、現在、「都市」という空間で象徴させることができます。

 

 

「まれびと」の「おとづれ」

 

「まれびと」の最初の意義は、神であったらしい。

時を定めて来り臨む神である。

大空から、海のあなたから、ある村に限って、富と齢とその他若干の幸福とをもたらして来るものと、村人たちの信じていた神のことなのである。

この神は宗教的の空想には止まらなかった。

現実に、古代の村人は、この「まれびと」の来って、屋の戸を押(おそ)ぶる「おとづれ」を聞いた。

音を立てるという用語例の「おとづる」なる動詞が、訪問の意義を持つようになったのは、・・・神の来臨を示すほとほとと叩く音から来た語と思う。

「まれびと」と言えば「おとづれ」を思うようになって、意義分化をしたものであろう。

戸を叩くことについて、根深い信仰と連想とを、いまだに持っている民間伝承から推して言われることである。

宮廷生活においてさえ、神、来臨して門におとづれ主上の日常起居の殿舎を祓えてまわった風は、後世まで残っていた。

 

(前掲書)

 

引用した、このたいへん美しい一節は、古来、日本人と「まれびと」(まろうど)=神との深い関係性を示しています。

これも、資本主義的合理性とは関係しようがありません。

 

この信仰は、日本人の心に宿っていた「まれびと」(まろうど)が、長い間、人々と共同で作り出してきた、たくましく強靭な世界を指していました。

20世紀後半の資本主義による劇的な変化にも、「二重の層」となって「祓う」ことのできた底ヂカラ=安定を持っていたと言えます。

 

 

変化を支えた安定の消滅

 

20世紀末から21世紀にかけて日本資本主義は、ワタシたちの骨の髄まで徹底して、伝統的な「家族」「家」(血族、共同体)の鬱陶しさを、ぶっ壊してきました。

 

その空白(感)によって人々に新たな孤独や不安をもたらしたかもしれませんが、鬱陶しい習俗・伝統の共同体を完全にぶっ壊して、「私的自由」、「私権」を大きく尊重する社会を実現しました。

 

どのような語弊が感じられようと、これは敗戦後の日本資本主義の巨大な成果と言えます。

 

しかしもし、安定なるものに恵まれなければ、狂乱ドタバタの悲喜劇『ウルフ・オブ・ウォールストリート(2013)のように

ひたすらなカネ稼ぎ騒動の果てに、酒やらドラッグやらセックスやらへの耽溺だけで代償された、自己喪失の世界が待っているだけということはあり得ます。

 

それは、ある種の人々の清貧な倫理観には合わないかもしれませんが、誰からも非難される謂れなどないはずです。

犯罪でもない限り資本主義的自由を「満喫」してきたに過ぎないからです。

 

ξ

環太平洋島嶼的なアニミズムを起源に持ち、古代神道陰陽道、仏教、儒教やらが混じり合った民間信仰は、ほんの20世紀まで日本人を底のところで支えてきました。

 

しかし、そうしたワタシたち日本人の民俗的心性に関する歴史、「うん蓄」は理解できるとしても、いまや共感はできないと思われます。

 

幸いにも、その共感の無さは、人間は神ではないことをサバサバと見破りますから、人間を神に見立てたような20世紀半ばまでの「生き神信仰」に戻ることは、もうあり得ないと思えます。

(続きます。)