続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

人手不足に伴う「郊外」の変化とこれから

これは

『逃げて逃げて逃げまくる方法』 ~ 無構造な情報が降り注ぐ心地よい時代

の続きです。

 

ξ

1970年代に飽和期に達した日本資本主義を、人々との共有資本主義と勝手に名付けてみると、現在は、人々がバラバラな分断資本主義と言えそうです。

 

(2023.8.16)上場企業3期連続最高益 24年3月期、小売り・サービス好調 - 日本経済新聞

www.nikkei.com

 

こういう明るい!記事を見て、幸福な時代は、おぅ、来春闘の大幅な賃上げの材料が出たな、よし!と新たな団結心を強め意気を上げたのではないかと想像できます。

しかし、余りに長期に敗者であり続けた現在のアナタは、こういうニュースを見てもヒトゴトのよう、ますます拡がりそうな上場企業従業員との格差ばかりが気になるかもしれません。

それどころか、敗者であり続けたアナタはこういうニュースを目にとめることすら避けようとするかもしれません。

 

ξ

最近、ニュースでよく話題になるように、郊外の、路線バスの運転手不足、低価格理髪店の理髪師不足、家電量販店やコンビニの従業員不足、ファミレスその他飲食店の従業員不足を、実感します。

この結果、運行便数を減らす、営業時間を短縮する、客の順番待ちを増やす、客の入場制限をするのが普通になっています。

 

近所のファミレスや飲食店に行くと、従業員数に見合った席数制限を行い不使用のテーブルが目立ち、したがって案内までの待ち時間が長く混雑し、また注文をしても長い時間待たされる状況になっています。

 

有資格者であるか無いかを問わず賃労働者は、より良い条件(給与、勤務時間、福利厚生)を求めて移動するようになっています。移動先の多くは都心に向かっています。

 

現在、郊外があおりを受け空洞化しているような印象を受けます。

賃労働者が高賃金・高待遇を求めて移動するのは当然ですから、客としては、混雑や待ち時間をヤレヤレと思いながら受け止めるしかありません。

この結果、賃金上昇を理由とした料金値上げラッシュが続くでしょうが、消費者がどこまで受け入れるか。

いきなり運賃やメニュー料金を2~3倍にすれば、ワタシはバス利用や外食を止めるようになるでしょう。

 

本郷も かねやす(兼康)までは江戸のうち <江戸川柳>

ξ

購入した住宅の都合で、バス通勤・バス通学が不可避な人々は深刻だと聞きます。

ひたすら郊外へ、そして最寄駅から奥へ奥へと向かった従来型住宅開発は、このまま持続することはできなくなるでしょう。

路線バスの廃止や運行便数減があれば不動産価値は相対的に下がる(=駅近が上がる)からです。

やっぱり都心か! ということにもなるでしょうし、駅近が(資産価値どころか)賃労働者として暮らすための必要条件になるかもしれません。

 

不足する路線バス運転手を外国人(非白人)に置き換えていく動きが出ています。

日本人的な習俗や道路事情を知らない、発展途上国の習俗やマナーしか知らない運転手に都市近郊を走らせるという近未来があるとすれば、バスに乗るどころか道路や歩道を歩くにも緊張を要するでしょう。

 

こうした流れに嫌悪を表明すれば、バス通勤などしたことも無い“人権”主義者や、運転手付き送迎しか経験のないGDP”至上主義者は、人種差別だのダイバーシティだのと騒ぐでしょうが、どう歴史を振り返っても異人種との習俗・文化の交換には百年単位の時間幅が必要であり、その短縮は支配・強制以外には不可能です。*1

 

ξ

仕事がら不動産業者・ディベロッパーと付き合いは多いですが、(ワタシが関心を持つ)都心や近郊では宅地売却と戸建建設が活発です。

もちろん都心ではペンシルビルと揶揄されてきた単身者用主体の狭隘マンションの建設・分譲も盛んです。

 

この取引の活発さには、相続登記の義務化(令和6.4.1~)も効いているそうです。*2

直ちに適用されるわけではありませんが、登記手続が面倒なので固・都税を支払いつつ放置していた宅地建物を一気に処分してしまう流れも創り出しました。

不動産業者・ディベロッパーにはもっけの幸いです。

驚くことに戸建に関心が薄いと思えたM地所やN不動産までが都心の戸建所有者に売却査定のパンフを送達するようになっています。

 

こうして売り出し物件は増えていますが、もともと足らないので価格は下がりません。

東京オリンピックが終われば土地価格は暴落すると真っ赤なウソをついていた連中をワラうように、住宅を含む再開発・建設工事は活発化しました。

不動産業者・ディベロッパーには、オリンピックの影響を受けて売買・着工待ちの物件が相当あることがわかっていました。

 

ξ

ワタシの同僚は、23区内ではありませんが1億円近い価格で宅地を売りに出しました。いまが処分どき、売りサインが出たようです。

不動産に、まるで株や国債のように「一夜にして紙屑」恐怖をばらまく奇妙な人がいますが、頭打ちの気配があってから5年程度は様子見することは可能です。

 

ところで不動産を含むすべての投資において10年が目安になると考えています。

どうせ前記のように近未来ですら当たらないのですから10年以上先の御託をいくら並べても当たるはずがありません。

逆に言えば10年以内に大きな利益が出そうもない投資は無駄ということになります。

 

少なくともこの10年の、日本株高、アメ株高、ドル高(対円)、不動産高は明らかに予測可能でした。

この結果、この世はカネを稼ごうと思えば相当に稼ぐことができるのだという資本主義的なユートピアを思うことができた人々がいた一方*3、低賃金や忍び寄ってくるインフレに毎日のように痛めつけられ、この世はディストピアに向かっているとしか思えなかった人々もいました。

要は、富裕層の著しい増大も事実だし、中間層の「とてつもない大転落」*4も事実で、(「格差と分断」はアメリカの形容詞ではなく日本も)完全に分断社会に突入してしまいました。

このバラバラな、分断された現在から、人は生き方を選択していくことになります。