続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

日本人の「活気」と「ゆとり」はいつから消えたのだろう

これは

実家という「空き家」を処分すること

の続きです。

 

ξ

最近、次のような記事を続けて見て、バブルの再来と富裕層の急増に大手企業もフワフワ浮足立っているんだな、大丈夫かな、とつい思った。

 (2023.7.3)路線価2年連続上昇 23年分1.5% コロナ禍から回復鮮明

www.nikkei.com

 

(2023.7.5)大手銀行が富裕層開拓 三井住友信託銀行は資産管理会社に出資

www.nikkei.com

 

ξ

1960頃からの家計貯蓄高と年間収入の長期推移のグラフを眺めていると

1970~1980年代は、収入と貯蓄がきれいに上昇した、いい時代だったといえるかもしれない、と思う。

(家計調査)

ちょうどこの頃は、日本の死亡者数、死亡率とももっとも低く、感覚的には、葬式より結婚式の方がずっと多く、あちこちの家庭の内外で、どっちだった? 男の子? 女の子? 誕生ホントにおめでとう!といった声が聞かれる「活気」に満ちた時代だったことは疑いない。

つまり就業者人口が高齢者人口をはるかに上回り、街を歩けば同じ背格好の賃労働者とすれ違い、年間収入の伸びと貯蓄の伸びが統計上の事実だけでなく、多くの人の共通の実感になっていたと考えられる。

1990頃までの収入と貯蓄の美しい伸びを見ていると、明らかに生活の張り、明日への希望が感じられていたようにみえる。*1

https://yusakumf.hatenablog.com/entry/2021/06/10/160344

 

ξ

1990年代に入ると、収入は下がることはあっても非常に上がりにくなった。

こうして家計の「ゆとり」と「活気」の度合いは1990年代後半から様変わりしてしまった。

家計調査によると1995年が世帯所得の低下元年である。

深刻なデフレ時期であり、社会不安から、ワタシたちは消費自体の抑制、より安価な消費対象への移行をすすめた(清貧の思想なるものが流行した)

その結果、1990年代は、収入が低下するか横這いであったにもかかわらず貯蓄は増加することになった。

 

ξ

2000以降から現在までをライフサイクルのように言えば、高原期、飽和(ピーク)期といえる。収入も貯蓄も、到底、伸びつつある時期とは云えない。

 

家計調査付属資料は、「貯蓄現在高は年間収入に対する比は63年前の4.2倍」との表題で

「2022年(1901万円)の水準は、63年前の1959年(30万円)の63.4倍となっている。また貯蓄年収比をみると、2022年は、296.6%と、1959年(70.0%)の4.2倍になっている。」と記載している。

これは何を言っているのか。国民の貯蓄は、すでに驚くほどたっぷりあると言ってみたいのか。

 

しかし、そのような「安定期」とは到底言えない。このグラフだけでは見えない格差がある。

 

ξ

他の統計のうち、年間収入を階級別にして世帯数を並べたものを見れば、中央値は平均値を下回っており、最頻値(モード)は中央値をさらに下回る、所謂「右に歪んだ分布」になっている。

要は低所得世帯層に世帯数が偏った格差実態を示している(家計調査)*2

 

つまり、少なくとも2000年以降は、収入も貯蓄も順調に伸ばした層と、収入が乏しく貯蓄不可能、もしくはもっぱら貯蓄を取り崩している層が混在し激しく相殺しあっている時期と言える。

たとえば

65歳以上の高齢無職世帯は、単身者世帯であれ、2人以上の世帯であれ貯蓄性向(=1―消費性向)はマイナスである(家計調査)。つまり貯金を取り崩して生活している。

一方、60歳未満の2人以上の勤労者世帯(=働く中間層の大部分を含んでいる世帯)では貯蓄性向は25%以上ある(家計調査)。この層の存在が貯蓄現在高合計を、比較的なだらかな高原状に維持しているとみられる。

 

ξ

60歳未満の2人以上の勤労者世帯(=働く中間層の大部分を含んでいる世帯)は日本の世帯の中核として非常に重要である。

彼らの年収は、平均で貯蓄性向プラスであり、中間層上層であれば平穏安定した中庸な人生の幸福を実現してしまうような人々といえる。

同じく中間層上層の人々は、世の中を動かしていく政治的・文化的な太い潮流の真の(寡黙な)主人公であり他の層を常に引っ張っている。

 

ところで、10年以上にわたる量的な金融緩和に伴う株高、不動産高、円安は想定どおりであり円ベースでの資産(ストック)増はまったく自然である。

(冒頭引用記事によれば、1億円以上の金融資産を持つ世帯は約149万世帯、この10年で1.8倍になったそうである。)

家計調査の「貯蓄現在高」の定義は、厚生年金・国民年金企業年金を除く金融資産と言え、そのうち有価証券(株、投資信託、債券など。またドルなど外国通貨建ての預金、株、債券、投資信託、保険等を集計に含む)は、調査時点で時価評価した額(債券は額面)としている。

 

こうしてみると現在、金融資産1.4億円~7億円(100万ドル~500万ドル)程度のありふれた富裕層下層(Millionaires Next Door)は確かに増えているだろう。

しかし彼らは、言うまでもなく大したカネモチではなく、概して高学歴で、ほとんどは結婚して家族を持ち、それゆえ隣人付き合いもよく(地縁血縁を大事にする)、慎ましく、勤勉な層だと思われる。*3

ワタシの子どもと同じ公立小中学校に通わせていることも多いだろうし、仕事が終われば同じ居酒屋に、家族では同じファミレスにも出かけることもフツーにあるだろう。

 

しかしワタシにその生活感覚がわからないのは、経済評論家・森永卓郎氏が言う富裕層だけが暮らす地域に住んで、富裕層だけが行くレストランに行って、富裕層だけが行く商店で買い物をする。だから接点がないんだと思うんです。」というような超富裕層である。*4

 

わからなくても接点がなくとも大して困ることもないが

このような人々、巨大な財力(権力も)を持つ人々特有の、不可解な貴族志向(選民志向)によって、近未来SF的・全体主義的な人間支配衝動をばらまかれるより

ありふれた貯蓄現在高であれ、他人と比較しては悦に入っている人のほうがずっと健全だと思える。