続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

続 ・ 日本人の「活気」と「ゆとり」はいつから消えたのだろう ~ ゲイテッド・コミュニティに向かう

これは

日本人の「活気」と「ゆとり」はいつから消えたのだろう

の続きです。

 

ξ

確かに1990年代半ばから、急速にサブカルチャー(=生活思想)が変化したことは事実だった。それは感性的に、はっきりとわかった。*1

 

それ以前、家族が信じられ、仲間が信じられ、会社が信じられ、世の中も何となく信じられ、そして未来も何となく信じられる楽天性、肯定性がメジャーな心性であったとしたら

どう考えても大規模な層(=中間層)への経済的裏付けなしに不可能だったと思える。

20世紀の「一杯のかけそば」のような、一過性の貧困「美談」はメジャーな生活思想には決してならない。

 

低下し続けた家計可処分所得と最終消費支出

ξ

この夏、子どもたちが長期の休みに入って混む前に、と思い伊豆に行ってきた。

東京よりマシというだけで、もちろん暑いことは暑い。

ただ薄曇りの日ならば海岸はホッとするほど過ごしやすい。来てよかったと思える時間だ。

日本の太平洋側の海は好きだ。とにかく明るい。

海の音を数時間録ってきてリニアPCM、96kHz/24bit)幸福だ。あれこれ編集している。

 

ξ

さて子どもたちの夏休み前とはいえ、ちっとも空いていなかった。中国系やインド系の外国人観光客で溢れていた。

 

伊豆の老舗のホテルは廃れ、場所によってはカタカナ名(海外)の投資会社に買い取られていった。

熱海を含め伊豆といえば、高度成長時の団体旅行や新婚旅行の時代が終わってからは、日本人にとって、古い「過ぎた場所」のように感じられるかもしれない。残っているホテル・旅館群もどこか赤錆色の雰囲気がある。

 

外国人には全く違って見えるかもしれない。穏やかな海風と温泉のマリンリゾート。しみじみ眺めれば磯の海岸線や広い海原はとにかく美しい。

 

伊豆の2020年代の再開発目標は、富裕層向け滞在型リゾートらしい。それは最初からインバウンド(外国人富裕層)期待である。

強欲資本主義は、当然のように富裕層をターゲットにする。日本人である必要はない、外国人で結構、という猛烈な安易さだ。

 

江戸時代の講のような、庶民が細々と銭を積み立て、憂さ晴らし、気晴らし、一世一代の「お伊勢参り」「富士山詣で」の晴れがましさはどこにもない。

そのような庶民の名所として再生する気はまったくないようにみえる。

来てよかった、願いがかなった、また何とか来てみたいといわせるような、庶民に「愛される」名所の共有には、強欲資本主義は関心がない。

日帰り温泉と変わらぬ1~2泊の旅籠客は、駅前の食堂で、それこそ一世一代の鰻重でも食って帰ってもらえばよい、ということのようだ。

強欲資本主義の目論見書には、ほとんど利益を生まない庶民に「愛される」名所としての再生策は載らない。

 

ξ

日本人は、いつのまにか外国人の多くなった観光地を避け、ひっそりとした、彼らと会わないところを求めて行くようになったが、それは観光地の放つ華やかさ眩しさに日本人が耐えきれなくなってしまったからだ。

そしてこんな感受性を口にする。

私にもあるよ。

それぞれの街に、好きな場所、好きな人、好きな時間が。

きっとその答えは、お互いに違っていて、だからこそ発見がある。*2

東京メトロ【CM】Find my Tokyo - YouTube

 

これは自虐・自傷自己憐憫の捻じれた顕われに過ぎない。

この感性のおおもとは染み付いた敗北感である。

それは間違いなく日本人の貧困化『とてつもない大転落』に起因している。*3

それにアジアを中心に来日する富裕層の、眼前の増大が拍車をかけている。

リゾート地で、大ホテルの中や周辺を、悠々と歩く外国人たちが眩しい。もうそれと張り合う元気も無いように見える。

 

この記事冒頭に示すように、すでに経済的に圧倒的な敗者であることから目をそむけようとすれば、自虐・自傷自己憐憫に向かうしかない。

あるいは、その反面に過ぎない他傷に向かう攻撃性に突出するしかない。

 

ξ

こうして伊豆も富裕外国人を当てにしたマリンリゾート、遊興リゾートとしての「再生」にかけようとしている。

ここで目指されているのは、高度格差社会特有の、富裕層の離隔願望とその快適性・安全性の保証、つまりゲーテッド・コミュニティ(Gated  Community)の提供である。

そしてワタシたちは、その使用人として賃労働を与えられることになるか。*4

 

これは近未来ではなく、都心23区や臨海再開発地区では、すでに「大規模タワマン」として、ゲーテッド・コミュニティ(Gated  Community)が実現されている。これにコガネモチ日本人や富裕外国人が殺到している。

 

高度格差社会において、強欲資本主義にとってカネの成る木が、富裕層の離隔願望とその快適性・安全性の実現、つまりゲーテッド・コミュニティ(Gated  Community)の提供である。

これは世界中で起こっていることである。

 

だがしかし、その強欲資本主義の試みは

「世の中も信じられ、そして未来も信じられ、人や社会にまんべんなく開かれた楽天性、肯定性」から最も遠ざかろうとするものである。

だから(日本の)リゾート地の再生の原理原則として、長期的に本当に有効なのか、現時点断定はできないと思える。