続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

「しずかな夫婦」 ~ 静かな強靭

これは

「君死にたまふことなかれ」

の続きです。

 

 

自由 と 不自由

 

すべての自由は、阻害(侵害)されることがあってはならない、という原理は成り立つでしょうか。

この「自由と民主主義」の世の中で、(空想)のなかだけで考えていくと

 

個々の人間ごとに自由(や幸福)は異なるはずであり、それらすべての自由(や幸福)の実現が阻害(侵害)されることはあってはならない

 

という息苦しい原理の主張になりがちです。

それらはもっぱら、神経質そうな目付きの、ポリティカル・コレクトネスの側から主張されることが多いそうです。

 

そのようなことはあり得ないので、たいていの人はムキになって相手にはしないでしょう。

単純な話し、アナタが女性Aに恋していて、Aもアナタに恋していることが分かった。アナタの恋の自由(や幸福)は成就した。

しかしアナタと同じくAに恋していた男性Bは振られることになり、Bの恋の自由(や幸福)は成就せず不自由に終わった。

(守られるべきは機会の自由であって、成就の自由ではないなどと、詰まらないことを云わないでください。失恋の結果は変わりません。)

 

恋の成就は、人類を含む全ての動物において真剣な「勝負」と言えます。

(おそらくは植物においても)

したがってほとんどは優勝劣敗の結果に終わります。

 

分かりやすく言えば、生命衝動(生命力)の強度の大きいほう=「強者」のほうが生き残りやすくなります。

生命衝動の希薄な「弱者」は、世の中と対等に渡り合うことが困難なので、生きる道も狭まるでしょう。

 

ワタシは男性であれ女性であれ、生命衝動の希薄な「弱者」を擁護する気にはまったくなれません。

ワタシは病者であれ障害者であれ、生命衝動の大きな、世の中とネアカに「勝負」する人々を、たくさん知っているからです。

 

この生命衝動の脆弱な「弱者」とは、朝から晩まで、世の人に対する恨み、辛み、妬み、憎しみ、不満に満ちた、要は、ブラブラ怠惰なくせに、何もかも人のせい(親のせい、安倍のせい、自民党のせい)

自分はこの世のメインからはずされているというくすんだ被害妄想を持つ人々です。

言うまでもなく、生命衝動の脆弱な「弱者」が生き残るようには、人工社会やそれを造った自然界はできていません。

 

ξ

これをキラキライキイキの社会的な強要、圧力と勘違いしてよじれてしまう人がいます。

「絶対善」のような顔をした圧力を感じて、なぜ人間はキラキライキイキしていなければいけないのか、と幼稚にねじれていきます。

 

柳家小三治(1939~2021)は晩年、結局のところ、人間、キラキライキイキしているヤツが一番、という趣旨の言葉を残していますが

小三治得意の古典落語には、「困り者」ばかり出てきて、彼らは到底キラキライキイキ生きている連中とは思えません。

小三治は、この「困り者」を語る技芸を磨き上げること、常にこれを道半ばと考え、キラキライキイキしていたように思います。

アクテムラ(生物学的製剤)を自己注射し続ける身体の、ヤレヤレというほかない不自由さのなかで、キラキライキイキできる空間と時間を見つけ手放さなかったように思います。

人間にとってその原衝動、生命衝動はどこからやってくるのか、うすうすは思うところもありますが、それは別のテーマです。

 

 

 

「しずかな夫婦」

 

最近あらためて読んだ、天野忠(1909~1993)の「しずかな夫婦」という詩を、戦前、戦中、戦後の3つの時期に分けて、それぞれ一部を抜き書きしてみます。

 

ξ

《戦前》

おせっかいで心のあたたかな人がいて

私に結婚しろといった。

キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて

ある日突然やってきた。

昼めし代りにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き

昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。

下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し

お見合だ お見合だ とはやして逃げた。

それから遠い電車道まで

初めての娘と私は ふわふわと歩いた。

―― ニシンそばでもたべませんか と私は云った。

―― ニシンはきらいです と娘は答えた。

そして私たちは結婚した。

 

ξ

《戦中》

戦争がはじまっていた。

祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩

子供がうまれた。

次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ

徴用にとられた。便所で泣いた。

子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。

ひもじさで口喧嘩も出来ず

女房はいびきをたててねた。

戦争は終わった。

転々と職業をかえた。

ひもじさはつづいた。貯金をつかい果した。

 

ξ

《戦後》

子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)

思い思いに デモクラチックに

遠くへ行ってしまった。

どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって

夫婦はやっともとの二人になった。

三十年前に夢みたしずかな夫婦ができ上った。

―― 久しぶりに街へ出て と私は云った。

   ニシンそばでも喰ってこようか。

―― ニシンは嫌いです。と

私の古い女房は答えた。

 

ξ

「おせっかいで心のあたたかな人」も

「キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘」も

世の中と正面からネアカに「勝負」する気分でいっぱいだ。

 

子供がうまれ」、「よだれを垂らし」、「手をかえ品をかえ病気をし」、「ひもじさで口喧嘩も出来ず」、「いびきをたてて」、その身体をなだめ過ごしているうちに「戦争は終わった。」

「夫婦」は、戦争に巻き込まれ、もちろん忍従を強いられアタフタやり過ごしてきた。

 

不自由なときばかりだった、いや自由な楽しいときもあった、そのように空間も時間も過ぎていった。

 

いやいや自由とか不自由とか空想(脳)のなかで生活したことなど本当は無かった。

子供たちがシラっと「デモクラチックに遠くへ行ってしまった」空間と時間に、ずっと「夫婦」は居た。

 

いつの間にか「赤いチャンチャンコ」の年になった。

戦争前も戦争後も、一貫して「私の女房」は、ニシンは嫌いだ。

しずかな生命衝動の、静かな強靭。

 

ワタシは、この詩を繰り返し読んで飽きることがありません。