続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

「君死にたまふことなかれ」

 

これは

3月1日から3月9日までのでき事

の続きです。

 

ξ

与謝野晶子(1878~1942)の「君死にたまふことなかれ」の一節が浮かんで古い詩本を取り出した。

「君」とは、実の弟で、日露戦争に召集され旅順(中国)でロシアと戦っていた。

弟は24歳、まだ新婚、間もなかった頃である。

 

当然だがこの反戦詩は「日本の興亡を賭けた戦争」のさなかに何と不謹慎な、との批判が多かった。

 

しかし嘆きと怒りの感情が、まっすぐな張りつめた論理を構成して世間を切り裂いていった衝撃は大きく、天才歌人・詩人、晶子の代表作のひとつとなった。

現在こういう、世間を切り裂いていく天才は、どこかにいるだろうか。

 

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ξ

ベストセラー『人新世の「資本論」』の著者であるマルクス研究者の斎藤幸平氏はかつて中沢新一氏との対談で)

「もうイロニーやシニカル(冷笑的)の時代はやめにしたい」

と語っていたのが印象的だった。

 

これには深く同意せざるを得ない。

マルクス後が思想の不毛にしか見えないのは

ヨーロッパでマルクス主義の挫折後に登場したポストモダン思想は、それまでの絶対的知性や絶対的権力を否定する思想、相対化しようとする思想

つまり反絶対、反権力を表明するしかない思想、ひたすら相対化のためのレトリック溢れる「イロニー」ヘーゲルの云う)そのものであったからである。

マルクス後は、社会的矛盾の克服原理、強靭な変革思想のフレッシュアップは無視されたか、巧妙に避けられた。*1

 

これらは専門家によって論証されているはずだが

(ワタシの理解の範囲でいえば)マルクスの凄みは

資本主義的生産の果実は、その労働に携わった社会構成員の成果物であるのに、成員全体に分配されるのではなく、ごく一部の人間に占有される(搾取)のはおかしいではないか、果実の享受において誰もが対等でないのはおかしいではないか、というイマソコにある否定しがたい不当性を出発点に、政治運動理論にまで仕上げたことである。

これは個人の自由、公平を前提とする近代思想そのものである。

皇帝、国王、領主、教会が支配する前近代では、人間は独裁者(王など)のもの、奴隷であって独立した個人ではない。

 

そして現在まで、時代錯誤の帝国主義者あるいは「ロシア」かぶれの民族主義の集団とも呼ばれるプーチンロシアの

ミサイルをはじめとした強力な武器が国境を容赦なく超え、大都市を壊滅し人々の命を奪っていく古典的な政治を生き長らえさせてきたのは事実だ。

 

ξ

世界の人々は

武力をもって現状変更をはかるいかなる行動も容認できない

という「現代」のキレイゴトが全く通用しない「野蛮」な強大国がまだ目の前に存在していたことに驚いた。

まるで第二次世界大戦が始まったかような時間の逆転を思い知って驚いた。

マルクスが生きて眺めた遠い時代からとりたてて進歩した思想はないかのようにみえた。

 

ワタシたちがその進歩を疑わない物理科学が

高度な数学やスパコンや新たな観測技術を次々採用し、宇宙の秘密を鮮やかに解明したり新技術を発明し続ける一方、思想や哲学は完全に取り残された。

大学哲学科の教員が自虐的に言うように、哲学とは、教室でギリシャ以来の)哲学を講義することである。

 

※「哲学者はただ世界を解釈していたに過ぎない。問題なのはこれを変革することだ。」マルクス

 

こうして驚くほどの人間性の進歩の無さに、どこまで行っても人間はバカを繰り返すのではないか、という「シニカル」な宿病論も蔓延してしまった。*2

 

ξ

その分、政治だけが自由に振舞っている。

舌なめずりして出てきた政治・軍事自称専門家らは、いずれの側であれ、現時点どちらが有利・不利の戦況話しかしない。

スポーツ観戦なのか?

 

3月23日、日本の国会ではゼレンスキーの、これこそ日本人向けの演出、人道主義的情緒・感傷をひたすら呼びさまして戦闘支援を正当化する、マッタク、ナメラレタモンダゼ!というほかない政治劇場が繰り広げられた。

 

もし天才・与謝野晶子が生きて論戦すれば、その強靭な論理が、そんじょそこらの政治家や床屋政談の言い草など真正面から叩きつぶしてしまうだろう。

 

攻防戦のカナメ旅順の城が滅びようと滅びまいと、それがなんなのだ、と言い切り

そもそも、互いに血を流し、ケモノの道に死ねと、それが人の名誉だと、御心の深い、すめらみこと天皇が、お考えになったりするものか、と言い切り

その40行からなる「君死にたまふことなかれ」の最初の連8行は、次のように始まる。

 

あゝ をとうとよ、君を泣く、

君死にたまふことなかれ、

末に生まれし君なれば

親のなさけはまさりしも、

親は刃(やいば)をにぎらせて

人を殺せと教えしや、

人を殺して死ねよとて

廿四までを育てしや。