ξ
ぎょうざの満洲は、調べると埼玉、東京など関東を中心に店舗展開している中華料理チェーンである。
魚介も鳥も豚も、ごたまぜにした、さあ、どーだ、凄いだろう!! という異様な濃厚スープを売りにしたようなラーメン店の味とはまったく違っている。
こういうラーメン店は、一度行ったら3ヵ月は思い出す必要がないようにできている。
一方、満洲は何をたのんでも特に旨くも不味くもないといったフツーの味だ。
さあ、どーだ、凄いだろう!! という押しつけがましさがどこにもないようにみえる。
しかし、3日たつとまた思い出す。
たぶん材料も味付けもこういうフツーさを意図的に戦略化して、それなりに成功しているようだ。
赤いユニフォームの店員の元気な声も好きだ。
ξ
コロナ騒ぎになってから、隣や向かい合ったカウンター席の仕切りには透明板が設置されるようになった。
テーブルにもカウンター席にも消毒用アルコールスプレーが常置されている。これはかなり珍しい。
向い合ったカウンター席では、相手の顔は見えないが、透明板越しに何を注文して食べているかは見える。
以前、高齢のご婦人が、レバニラ炒めラーメンのようなたっぷり具ののった麺と、チャーハン・焼き餃子のセットを悠々と食べているのを見て心底驚いた。
ワタシには無理だ、負けたぜ、みたいに思った。
こういうものすごい消化力がないと長生きはできないのかもしれない、と思った。
最近、工事用ヘルメットを置いた若い女性の向かいの席に座ることがあった。
その人は、ほとんど食べ終わりだったが、焼き餃子はもちろん野菜炒めの皿に、ほんのわずかな野菜の切れっぱしひとつ無かった。
わざわざのぞき込むことなどできないが、米粒ひとつも残していないように見えた。
いまどき、こんなきれいな食べ方ができる人がいるんだ、と驚き感心した。
この人が交通誘導担当なのか職人なのか監督・監理者なのかはわからないが、昼が終わればまた現場に戻っていくわけだ。*1
ξ
どのような工事であれほとんどすべてが突貫工事である。
工事のミスは許されないので怒号や極度の緊張の中で仕事が進んでいく。
間違えば段取りからやり直し、その工事遅れが取り戻せなければ損害(賠償)の発生する事態になる。
だから迂闊なことをやらかせば無能扱い、絶え間ない工事騒音のなかで罵声が飛ぶ。
しかし、いつかぶっ殺してやると思った人々と並んで、上棟式や竣工式に立つのは好きだった。ほんの僅かであれ工事の完成に関わることができた。
人には、こんちくしょう、こんちくしょう、と思いながら
もやしの切れっぱしひとつ、米粒ひとつ残さず飯が食える時期がある。
これが人生でもっとも充実していた時期になる。
そのとき気付かなくとも、あとでそのように思い出すだろう。
ξ
スーパーゼネコンの技術屋が仕切る現場にいたことがある。
その意匠も施工方法も初めて見聞きするようなもので、当時、若すぎたワタシは打合せに同席すればひたすら聴きいっていただけだった。
上には上があるものだとつくづく思った。
社会に対する立ち向かい方を変えてきた新海誠監督*2が、あるスーパーゼネコンのアニメCMを作っている。ワタシの頭(脳)の半分のところではとても魅かれるCMだ。
そしてそれらのアニメの、海外で存分に活躍している華やかそうな姿よりも
工事の絶え間ない騒音や極度の緊張から解放された夕方、宿泊所に帰るときの、遠い所に来てしまった微かな寂寥やいくらかの充実感を伴なった今日一日の疲労のほうを
むしろワタシは思い浮かべる。