続 ・ たかがリウマチ、じたばたしない。

このブログは「たかがリウマチ、じたばたしない。」の続きです。喰うために生活することも、病気でいることも闘いです。その力を抜くこと、息を抜くことに関心があります。

「人妻ゆゑに恋ふ」こと、私論

これは

恋、こひ、孤悲とは何だろう

の続きです。

 

ξ

ワタシのような工学系の人間は、ボロボロになって表紙が剝がれチギれるほど読み込んだ書籍は、工学的な実用書に限られるような生活を送ってきた。

だから思想書や古典文学はどれも初めて読む目新しさがあり、つっかえつっかえであれ、それなりにのめりこんでいくことになった。

しかし辞書や解説書を片手に読み進むのは、病気やコロナでいくらかヒマになったとはいえ、相当持続的な気力・体力がいる。

多くは机に山積みになって、ノートパソコンの方が机からはみ出すハメになった。

 

ξ

以前、万葉集の拾い読みを始めた頃、額田王(ぬかたのおおきみ)大海人皇子(おおあまのみこ)との贈答歌を興味深く読んだ。

たいへん有名な二首だそうだ。

 

額田王の方から引用してみる。

 

(あかね)さす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや君が袖振る (巻一 ・ 二〇)

 

あかねは夕日の赤、紫草の野を照らし、赤や紫に反照している。この穏やかな夕暮れの色合いのうつくしさ。*1

紫野行き標野行き、という繰り返しが男女二人が遠ざかっていく空間の広がりを感じさせるようになっている。

 

夕陽に赤く染まった紫草の野の向こうに、もうあなたは立ってこちらを見ている。あなたはわたしに大きく袖を振っている。あなたは無邪気でも、野の見張りの兵士に不審に思われますよ。わたしたちのことを気付かれてしまいますよ。

 

すでに古代からはるか遠く現在にまで到達してしまった感受性を持つワタシたちが、古代日本人の感受性をどこまで知ることができるのかという問題はある。

額田王は、壬申の乱(672年)までの初期万葉の時代の歌人だそうだ。

すでに大陸文化(中国詩)による洗練が入り込んでいるだろう。

しかし古代日本語が用いられている以上(文字は漢字流用)、いくらかはワタシたちの祖先の感受性を垣間見ることはできるのではないか。

 

ξ

ところで「あなた」は、言わば元カレ(前夫)である。

「わたし」は、今は、元カレの兄の妻である。

 

しかし「あなた」も「わたし」も、どうも悪びれていない。

知れたら知れたでいいではないか、と胸をときめかしているようなところがある。

こういう男女関係の危うさが、あちこちにシコリを残すことは古代世界から普遍的にある。

間違いなくオキテ破りだからである。

しかしおどろおどろしい神罰や報復の憂き目に至るのではなく、どこかウキウキやドキドキを伴わせながら収まるところに収まっていくだろうという不思議な感受性を感じる。

これはワタシたちの祖先の時代特有のものと言えないか。

 

ξ

さて問題は、元カレが答えた歌である。

 

紫のにほへる妹(いも)を憎くあらば  人妻ゆゑに我恋ひめやも (巻一 ・ 二一)

 

これが(結構考えたのだが)ワタシのような素人には、うまく現代語訳できないのである。

 

この歌のカナメである「人妻ゆゑに」をはずして

 

紫のにほへる妹(いも)を憎くあらば  我恋ひめやも

 

としてみる。

すると俄然、意味が分かりやすくなる。

 

紫草のように美しいあなたを私がもし憎んでいたりしたなら、恋に焦がれたりするでしょうか。そんなはずがありません。

 

という意味になりとても落ち着く。これはこれで意味がよくわかる。

 

しかし「人妻ゆゑに」を元に戻してあっさり訳してみると

 

紫草のように美しいあなたを私がもし憎んでいたりしたなら、人妻なのに恋に焦がれたりするでしょうか。そんなはずがありません。

 

私には意味が分からなくなる。

 

そこで巷の訳をみると、次のように厚ぼったく訳しているものに出会う。

 

紫草のように美しいあなたを私がもし憎んだりしていたなら、人妻なのにこうして袖をしきりに振るほど恋に焦がれたりするでしょうか。そんなはずがありません。

 

まだ「人妻ゆゑに」が付け足しであるような感じが否めない。

恋に焦がれる理由は、いったい、あなたを憎んでいない(≒好きだ)からですか、それとも人妻だからですか。

 

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ξ

そこで解説書の助けを借りてみる。

 

この万葉集に四例見られる)「人妻ゆゑに恋ふ」という言い回しは、非常に現代語訳しにくい表現です。

しばしば「人妻なのに・・・」と逆接で訳されることもありますが、「ゆゑに」は原因を表す順接の接続語ですから「なのに」と訳すのは正しくはありません。

この語法の要点は「人妻」と「恋ふ」という決して結びついてはならない二つの語が、順接で結ばれているところにあるのです。

(大浦誠士『万葉のこころ』、中日新聞社、2008)

 

なるほど、それでは「人妻ゆゑに恋ふ」を、「人妻だから恋う」「人妻だからこそ恋う」と考えてみよう。

 

紫草のように美しいあなたを私がもし憎んでいたなら、人妻だからこその苦しく切ない恋に焦がれたりするでしょうか。

嫌いな方であれば人妻だからこその苦しく切ない恋に焦がれたりしません。

あなたが好きなんです。

 

こう思ってみたら、ハッとするくらい意味が分かった。

そしてドキドキするくらい危ない歌だと思った。

 

ξ

もうひとつ、確かめておきたいことがある。

この奈良朝の頃、「人妻」を「恋ふ」とは、どのくらいの抑止の強度で考えられていたのだろう。

「人妻」と「恋ふ」との関係のわかりそうな歌を拾ってみる。

 

神木(かむき)にも手は触(ふ)るといふをうつたへに  人妻といへば触れぬものかも (巻四 ・ 五一七)

神聖な神木だって手を触れることがあるのに、人妻というだけで手を触れてはいけないものなのか(そんなこたぁないだろう)、と歌っている。

 

おそらくこの時代は、人妻と関係を持つ、人妻に恋心を抱くことは「神木」を傷つけるような、あってはならないとする宗教的な規範(初期仏教?)を持っていた。

しかし徹底的な抑圧管理により人間をただ傷つけていくだけの現在とはまったく異なり、明らかに人間的に拮抗しようとする思想の幅が存在していた。

 

だからこそ「人妻ゆゑに恋ふ」の歌が万葉集に時折り登場しては美や快を創りだしていた。

 

歌遊びは、宮中で行われている。

「茜さす」に始まる贈答歌二首も、5月の宮中恒例の狩の後の宴会で詠まれたそうである。

つまり当事者たちの夫であり兄である天皇の御前である。

しかしその歌の、一種、危い美や快は、きっと宴の席で喝采を浴びたに違いない。

決して平和ではなく、血なまぐさい陰謀が渦巻き統治が順調だったとはいえないこの頃でも、ワタシたちの祖先は、こうした休息の時間を持っていた。*2 *3

 

 

*1:

紫草はラベンダーのような紫色の草花ではありませんが、言葉によって鮮やかな「色合い」をつくり出しています。

*2:

現在、「人妻」を「恋ふ」ことの抑止規範はバラバラと解体してしまい、たいして意味を持たなくなっている。もはや「人妻」を「恋ふ」歌(や詩)が、美を生むこともまれだろう。言い換えれば、その物語が通俗低俗を超えて、美まで上昇することはほとんど無いだろう。

*3:

現代語訳はすべて筆者による意訳です。