これは
の続きです。
ξ
などが記憶に残っている。
予想どおり、世代を問わず、自民党が優勢な選挙戦だった。
投票率が上昇するなかで勢力を得たり伸ばしたのは、自民、維新、れいわ、N党、参政だけだった。
自民党 対 反自民党(リベラル)の二大勢力を夢見た人々には受け入れ難い結果だったろう。
国民は、いつまで経ってもバカだ、と相変わらず呪詛するのだろうか。
しかしアナタが、安倍元首相の葬儀に殺到した国民をみてバカにしか見えないとしたら、アナタの方がバカかもしれないと思い直した方が良い。
なぜアナタはこれほど国民とズレているのかあらためてその思想を考え直した方が良い。
しかし、その国民たちは翌日には、バタバタといつもの日常に埋没していくことも、たぶん事実だ。
それは、近所のジーチャンの葬式にイソイソとお付き合いで行くよりもいくらかは緊張した、しかし通り過ぎるだけのイベントであったことも事実だ。
ワタシたちは、人々(私を含む国民)の幸福な日常とは何か、を考えてみるしかない。
今回、自民党圧勝のなかでリベラルに何らかの驚きがあるとすれば、安倍氏の手綱が切れて、岸田首相はどうするのか、いくらか自由に振舞えるように変わるのではないか、という一点である。
(安倍氏は)任期の終盤には、北朝鮮のミサイル攻撃や東シナ海での中国の脅威に対抗するため、軍事力を強化する取り組みを継続。
たとえば岸田首相は、選挙後、安倍氏の遺志を継ぐように憲法改正(とりわけ改憲4項目として重視するもの)への発議を急ぐ考えを強調したが、ウクライナやインフレを始めとする緊急課題を前にその優先順位ははっきりしていないように思われる。
岸田首相「できる限り早く発議」 参院選大勝、憲法改正に意欲(毎日新聞)
ξ
「言論を暴力で封殺する行為は、民主主義に対する挑戦であり、決して許されない。断固、非難する。」
安倍氏への銃撃の後、与野党から(ワタシには理解しがたいピント外れの)同じパターンの声明・コメントが相次いだ。
ワタシの記憶によれば、団塊の世代までは有効だった、20世紀の「旧世代」の死語が流れているに過ぎない。
それがいまだ流通している異様な世界が政治世界だ。
死語とは通俗のさらに先にある無意味、無効な言語だから、何の訴えかけもしてこない。
与野党問わず、政治を浮世離れした、固有の別世界にしてしまうのは、死語を流通させて何の不思議にも思わない人々の住む世界だからだ。
誰か有能な専門家が政治言語を解放してくれないかと思う。
このなかで目にした蛯原健氏の、ごくフツーの、それゆえ際立って優れた言語に深く同意することができた。*1
「許されない」という言葉には違和感がある。許されないに決まっており、わざわざ取り立ててそう述べる意味もなければシンパシーも産まない。客観的で空虚さすら漂う。
また言論を暴力で封じるとか民主主義に対する挑戦云々という言葉にも違和感がある。犯行動機がまだ分かっておらず単独犯とも確定されていない段階の国家要人の襲撃に対して、勝手に動機を解釈しているように感じる言葉である。
(リブライトパートナーズ 代表パートナー)